説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集II』読書感想

新潮文庫の、『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集II』を読了した。その感想を書く。

まず、一番面白かった短編の感想を、書いちゃおうかな。冒頭に掲載の「婚礼の前」が、俺には一番だった、この本の中では。ロシア文学的な見事な長ゼリフが楽しめる。ポドザトゥイルキナがひと言も発しないのがなお良し。回りからのワーワーに圧倒されてる感がよく現れてる。

で、だんだん、短編個別の話から、一般論に、話題を広げていきたいんだけどね。短編の末尾に、発表年月日、検閲年月日が書いてある。で、この「婚礼の前」は、逆算すると、チェーホフが27歳の時の作なの。だから、だから、期待したし、その期待に「婚礼の前」は応えてくれた。

Iの方から読み進めてて、短編の出来、煮詰め方が、めちゃくちゃばらつきがあるのに気づいてて、で、完成度と発表年月日とを俺は関連付け始めてきたんよ。1880年と1887年の作は明らかに違う。二十歳と27歳ってことだから。Iの感想文ブログで紹介した「ポーリニカ」も、このII冒頭の「婚礼の前」も、27歳の時の作っすね。一般的にはまだまだ27歳って若いけど、でも、チェーホフの筆は円熟味を感じる、二十歳のときの作と比べると。

徐々に力をつけてきた、とかじゃなく、なんか、とんでもないジャンプを、二十歳と27歳の間の期間に、したんじゃないかと俺は疑う。短編制作上のモラルやポリシーに関する大きな変化があったんじゃないかな。

 

…この本単体については、そんくらいかな。短いけど。で、このユモレスカシリーズについても、ちょっと言いたいことがある。ので、改行した。なんかさ、このチェーホフ・ユモレスカってのは、新潮社の単行本で、I、II、IIIと出版されてて。もともと。で、そのIとIIが、文庫版になった、ところが、IIIが新潮文庫にはならなかった。ネットをウロウロ探し回って突き止めたところ、IIIは、なんと新潮文庫ではなく中公文庫になって、その名も『新チェーホフ・ユモレスカ』と変わってるのだ。この『新〜』は、I、IIとあり、このIの方が、新潮社の単行本のIIIを底本として出来上がっており、じゃあ中公文庫のIIはなんなのかっていうと、全く新しく作った本のようだ。

で、図書館でチェーホフのコーナーに、俺の自治体の図書館では、中公文庫のユモレスカは置いてなくって。仕方なくアマゾンをのぞいたところ、新品ではもう売ってない感じ。やむを得ず、値段がちょっと高止まりしてる古本で、中公文庫のI、IIをポチッた。既に手元に届いてる。

なぜ、こんなことに?一番わかりやすくてありがたかったシナリオとしては、新潮社さんが全部一手に、ユモレスカI、II、III、IVなどとして新潮文庫から出版してほしかった。売れ行きが悪かったのかな…などとぐるぐる考えるが、真相は闇の中である。なんか、物の本で読んだんだけど、広告業界?では「トロの法則」ってのがあるそうで、マグロのすばらしさを伝えるには、トロを一切れ切り出して相手に差し出す。そのような能力こそが大事、ということだそうだ。で、このユモレスカシリーズだが、新潮文庫のユモレスカIで、冒頭からガンガン1887年発表作を並べりゃ、IIIは新潮文庫版じゃお断り、なんてことにはならなかったんじゃないかな。違いますか…?なんか、学者学者してるんだよね、学術的にチェーホフを読み解くための短編読書を強いられてる気がして、でもさ、新潮文庫だぜ?純粋に読書を楽しみたい人向けに廉価に手軽に手のひらサイズの本を届けるっていうのが新潮文庫の使命じゃん。二十歳の頃の雑文とかをバンバンぶち込んでさ、読むのが苦痛なんよ。新潮社さんが、こりゃあ商売にならん、っつって、打ち切ったんだったら、俺はそれは理解する。仕方がなかっただろう。

でも、参るんだよね、図書館で中公文庫版を無視されてるってのも。チェーホフの面白い短編は本当に面白いから。どうも、世の中が、文庫本に過度な期待をかけすぎなのかもね。もう。気軽に面白い本をどんどん出版してほしい、また同時に、歴史的にも貴重な傑作も網羅してね、って、その2つ、両立しないでしょ。一般ピーポーの俺らが意識が甘いんだろうな。

何しろ、図書館関係者の方が、もし俺なんかのこのブログ見てくださってたら、お願いします。チェーホフ・ユモレスカは、新潮文庫版だけでなく、中公文庫版I、IIもどうぞ揃えてくださいませ。

『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集I』読書感想

松下裕の翻訳による、新潮文庫の『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集I』を、読了した。その感想を書く。

なんで俺が今これを読んだかと言うと、ある読書会に所属してて、そこでみんなで読むのにちょうどいい短編を探して、で、チェーホフの短編集に手が出たのである。ただ、きっかけはそうだとしても、読み進めていくうち、当初の事情を超え、ロシア文学をだんだん楽しみ始めてきた俺。

つっても、全部が全部強烈に面白い!…というわけでもないのは、このまえ読んだモーパッサン短編集と同様。新聞や雑誌に、短い文章をバンバン載せて、日銭を稼ぐ、っていうののごく初期に登場したのがチェーホフモーパッサンなんじゃないか。それまでと何が違うって、不特定多数の読者が一気に同じ新聞やら雑誌やらを読む、ってのが、やっぱし産業革命以後じゃないとそういう現代的なマスメディアってのが存在しなかったんだと思うよ。だから、本物の「時代の寵児」の先駆けはずばりチェーホフモーパッサンだった、と、ある意味、言えるんじゃないかね。

で、チェーホフは、上記のような意味において、先人がいなかった分野を開拓したパイオニアなので、短編小説をいかに書くかを手探りで色々実験しながらジリジリと前進していった。その軌跡を、たどれるようになってるのが、このユモレスカIだと思うんだよね。解説とかも読み合わせて判断するに、このIに収録されてるのはチェーホフの初期の作品なのかなと。荒削りなだけに、面白くないところは、遠慮なくマジで面白くない。が、学問的にっていうかね、過去の文献資料として、当時のモスクワの雰囲気が感じられたりとか、短編小説に現代人が求める要素がそもそも誕生した瞬間っぽい箇所に遭遇したりとか、そういう面白さはあると思う。

さて、以下、もっと各論的な細かいことも書いていこうかな。いや、戯曲っぽいなあと。俺、あんまり戯曲を読んだりする趣味は残念ながらないんだけど。気になってはいたんだよね、俺、ちっちゃい頃から井上ひさしが好きで、あの人、芝居もたくさん書く人じゃないですか。三島由紀夫とかも、「鹿鳴館」だっけか?有名だし。で、チェーホフだが、解説とか松下裕の文章とかを読むと、なんか有名な文学者の人に注意されてから、短編を書き飛ばし続けるスタイルから脱皮して、長編とか、戯曲とかを書き始めたってなってるけど、でも、高校生のときにもなんか長い戯曲は書いたんよね?で、このユモレスカIに収録されてる、おそらく初期の短編の中にも、芝居を意識したような文章の書き方がたっくさんある。そういう指向性を持った人なんだよ。それこそ井上ひさしなんか、チェーホフにもろ影響受けてんじゃないかなあ。根本的に根アカなところとか、似てるっていうか共通する要素の存在を感じる。

ああ、あと、時代が時代で、検閲がすごかったんだろうなあと思う。検閲がなきゃ、もっととんでもなく面白かったんだと思うよ、つまりちょうどあれよ、ハリウッドザコシショウYou Tube動画もガンガンBanされまくって、それでも今のも面白いけどさ、俺が知ってる限りでは例えば高須クリニックCMのパロディとか、立ってらんないくらい面白かったからね。あれが差別的表現ってことで規制食らって、で、おんなじようなことがチェーホフの短編でも山ほどあったことは想像に難くない。チェーホフが人の悪口とか政府の批判とか解禁されてたらとんでもないことになってたはず。

あとは、と。お気に入りの短編の個別的な話をちょいちょいさせてもらって、このブログを締めくくるとしますかね。まず一番面白かったのは、てか、現代社会においても、そのままで、面白いと思える、文学的競争力を保持しているであろう短編は、俺は「ポーリニカ」を推す。あー、ちょっとネタバレになっちゃうかな、もう読んだ人を対象に文章を進めていきたいから、念のために一行改行します。

 

で、「ポーリニカ」ね。簡潔な文体。この短編は、ストーリーは劇にしても面白かろうが、他の短編とかで散見されるような戯曲のような文体は一切混じらない。小説として、隙のない文章、チェーホフらしい簡潔な文章が徹頭徹尾貫かれてる。場面の切り取り方が良い。店でのやり取りに合わせての痴話喧嘩。その内容が読者に一切筒抜けになる。大学生→医者・弁護士、という世界と無学な町人の世界のクリアな対比。そして、大学生たちの世界の住人は、セリフすら一切なし。主役は無学とされている人々なのである。なのに、商品知識は豊富で、「無学」というレッテルは、全くの嘘なのであることが暗示的に断言されている。他の短編では、そこまできちんとしてないゆるい文章も見受けられるが、この短編においては、ポーリニカがその後大学生を選ぶのかチモフェーイチを選ぶのかについて一切ヒントがない。そこは言わぬが花なのである。このポーリニカとチモフェーイチの痴話喧嘩をこそ描きたいというチェーホフは、偉かった。自由に一般教養などを学び散らす大学生と、色んな人に色々に役立つ商品知識を一生懸命学び続けるチモフェーイチとじゃ、本当マジ月とスッポンだよ。比べることすら失礼。

と、他にも気になった作品はあるんだけど、まあ今回のブログ記事では、以上でポーリニカについて語ってしまったので、これくらいにしておきます。さあ、IIも読まなくちゃ。

『モーパッサン短編集III』(新潮文庫)読書感想

モーパッサンの短編集の最終3巻目を、読み終わった。その感想を書く。

数日前に1巻目、2巻目についての感想文もこのブログにアップし、それらでもうモーパッサンについて書ききっちゃった感じなんで、付け加え程度に、今、これを書いている。

でもさ、この短編集IIIそのものも、IとIIの補完って感じがするわ。

Iではモーパッサンについて世間がイメージするところの、皮肉、悲惨な短編が並べられてる。「アマブルじいさん」とか。で、IIがなんというか多分、訳者がメインで世に訴えかけたいやつなんじゃないかな。「シモンのとうちゃん」とか、あと「勲章」とか「墓場の女」とかも、現代社会においてもまだ面白さを保つ傑作と言えるんちゃうか。

で、このIIIだが、モーパッサンは従軍経験がある。その戦争体験から、いくつか短編が書かれてて、それらがまず集中的に掲載されている。「母親」も「二十九号の寝台」も、悲惨極まりなく、戦争とは悪いもので、回避すべくみんなが努力しなきゃいけないんだと思わせる佳作だろう。

んで、それら戦争物の次あたりに、オカルト物って言えばいいのかな、オカルトっていうか、ちょっとモーパッサンがおかしくなっちゃってるのかなって思わせる作品、例えば「オルラ」、「たれぞ知る」などが続く。だからよー、これ、この訳者の青柳瑞穂が、うまい配置でこの短編集を編んだなあって、感動し始めてる俺。Iでモーパッサンの世界に入り、IIでどっぷり浸かり、IIIでそのモーパッサンの世界の土台について考察を深める。そういうふうに、順々に学びを深めていける。素晴らしい短編集だ。IIIの話に戻ると、だから、戦争経験を通じて、やっぱり、モーパッサンは、おかしくなっていったんだと思うよ。彼の精神病はそれだけが原因じゃないって言う人もいると思うんだけど、でもさ、人間ってのはみんな何かしら心に傷は抱えてるもので、でも、それをこじらせずに80、90までの寿命を生ききるのが普通。でもそこに、戦争、しかも兵士としての従軍経験、っていう大きなストレスがかかると、それが致命的な引き金になって、精神全体が崩壊していく。モーパッサンに起こったことって、つまりはそういうことだったんじゃないかなと、俺は思う。ほんと、「オルラ」とか、これも、新聞で発表された短編なのかなあ。マジおかしい人の頭の中だってば。やべえよこれ。

そして、最後に、I、II、IIIの分類から漏れ落ちたいくつかの短編が配置されている。特にラストの「パリ人の日曜日」が重要。大体100ページくらいのボリュームだが、あとがきで青柳先生がご指摘の通り、おそらくこれは10個の短編のための創作ノートが、モーパッサンの死後にまとめられて出版に至ったのだろう。じゃあなんでこれが短編集にまで載っているのか。それは、IIIが目的とするところの、モーパッサンの短編の思想的背景、短編の作られ方の秘密に関するヒントにあふれているからであろう。特にこの中の「晩餐会に意見のかずかず」中のラードくんの政府への不信の表明、「民衆大会」中の「沈鬱な顔つきをした一人の青年」による男女同権批判は、苛烈を極める。ただ、これくらい激しい意見でも自由に出回るような社会でないと、逆にその社会は危ういとも思うけど。あと、そもそもこれ出版したのモーパッサン自身じゃないし。死後に他人がやったことでしょ。モーパッサンの目の行き届かないところで生まれた作品なので、生前の作品と同一視すべきでもない。

「パリ人の日曜日」中のいくつかや、その他の短編でも扱われているネタを、合成して、全体の一つにしていけば、その長編は大傑作になったのかもしれないが、どうも、「二十九号の寝台」を読むと、いちいちそんな微細な文学表現なんかよりも、戦争の悲惨さっていうのが凄まじすぎて、その他のすべてが吹き飛ばされていくような気がする。モーパッサンの精神の中に起こったことも、方向性的にはそういうことだったんじゃないかと想像する。惜しい人を早くに亡くした。

『モーパッサン短編集II』(新潮文庫)読書感想

モーパッサンの短編集の第2巻を、読み終わった。その感想を書く。いや、「シモンのとうちゃん」は、良かったねえ。

一つ前のブログ記事で論じたことの繰り返しになってしまうが、俺は、モーパッサンを楽しむにはたくさん彼の短編を読んでく必要があると思ってる。あ、これは、同時並行して手を出してる岩波文庫の『モーパッサン短編選』の解説からの情報だが、モーパッサンのたくさんの短編っていうのは、たいてい、フランスの日刊紙の新聞の一面とかに掲載されてたそうで。一回ごとに読み切りの、一回一回ごとにそれだけで楽しめる小説。そういうのの、かなり初期の段階で、活躍したのが、このモーパッサンだったんじゃないかな。モーパッサンが試したことを、後進の作家たちが、学んで、真似するところは真似する。ポップミュージックにおけるビートルズのような存在だったんじゃない?短編小説という分野におけるモーパッサンの位置づけってのはさ。いや、文学史にも音楽史にも、あんまり詳しくないけど。

あとは、思ったのは、一回きりの読み切りっていう体裁は取りつつも、ゆるやかに連作小説のようでもある…とも、感じた。全体として、一つの小説のようだ。オチがそもそもなかったり、読み終わったあと嫌な気分にさせたり、マジで勝手気ままに書かれてる文章で、この人、読者が怖くねえのか?って感じ。だからやっぱし、この人の書く短編小説は、それ一つだけで独立して芸術性を兼ね備えて独自の動き方をしていく、だから例えば星新一ショートショートのようなものではないのであって。ああ、だから、やっぱり、読者を惹きつけようとして、そういう風になってったか。つまり、たまたまその日の新聞を買っただけの一見さんは相手にしてないんだ。毎日読む固定読者層にとって一番面白い文章を、ひねり出してんだ。そうだ、そうだよきっと。毎回感動物語ばっかじゃ飽きちゃうんだ。つまんねえ話、悲惨な話、そういうのの中に、時々、キラリと光る感動物語も入れる。その配分は、実人生と同じ割合にしないと、胃もたれしちゃうんだ。…かと言って、現代に生きる俺らがそのようにして書かれた短編を一気に読もうとすると、それこそ実人生を生きるのと同じように、退屈モードの文章にもかなり付き合わなくちゃいけなくて、ちょっち大変なんだ。

ところが、である。とにかく読み通すべく一所懸命読んでたら、全く油断しながら読んでて、「シモンのとうちゃん」にぶち当たった。喫茶店の中で、不覚にも泣きそうになってしまった。ネタバレ、というか、実際にこれを読んだ人向けの文章を以下に書いていきたいんで、一旦改行しますね。

 

この、新潮文庫版『モーパッサン短編集II』中12番めに掲載されている「シモンのとうちゃん」は、簡素な文体で、ありふれたシチュエーションながら強烈ないじめシーンが描写され、シモンの幼い自殺未遂、そして熱望した「とうちゃん」の実現がとつとつと語られる。それ以外のことは全く書かれてない。シモンは、どんなにうれしかっただろうか。いじめられなくなったことが一番うれしいんじゃないだろう。とうちゃんを手に入れたことが一番うれしいんだ。七、八歳でしょ?マジでピュアだからな、この年頃。それこそ熱い鉄のようなものだよ、シモンの人格の状態は。フィリップは鍛冶屋だが、仕事で鉄を打つように、彼はシモンの人格も形成したと言えるだろう。いろんな小説が巷にはあるけどさ、このときのシモン以上に喜んだシーンって、存在し得るか疑問だ。

ああ、あと、モーパッサンの他の短編とかって、短いし、あんまし深読みできる余地が、今んとこ俺には感じられないんだけど、この「シモンのとうちゃん」において、一つ気づいたことがある。シモンがフィリップを訪ねて鍛冶場に入ってきたシーンだ。そっと入ってきていきなりフィリップに声をかけたシモン。あのさ、鉄鋼ってのは、叩き続けて温度を高く保っておく必要があるんじゃない?なのに、シモンの話を聞くために仕事の手を止めたフィリップ。さらに、その他の、鍛冶場の全員が、迷わず仕事の手を止めた。そして、一緒に話を聞き、ブランショットとの結婚をフィリップに勧めた。

鍛冶場の大人たちも、子供の頃は、シモンをいじめたいじめっ子たちのように、自由気ままに、残酷にも、生きてきたと思うんよ。でも、大人になるにつれ、分別を知り、社会の中に生き、優しさを学び取って、人間としても大きくなっていった。そんなことはこの小説のどこにも書いてないけど、俺、そう思う。学校のいじめっ子グループと鍛冶場の同僚グループとの間に差はない。同じ存在が時系列でちょっとずれてるだけだ。だから…、モーパッサンもそのことを自覚していたかどうかはわからないけど、この小説を読み込むと、モーパッサンの、社会に対する深い信頼と愛情を感じる。真の自由の中でこそ、人間というやつは、本当に大切なことを学び得るし、実際、そういうふうに成長したまともな大人も確かにこの世の中には居るんだ!っていうメッセージが、モーパッサンの小説にしては実に珍しく、高らかに謳い上げられている。

『モーパッサン短編集I』(新潮文庫)読書感想

モーパッサンという名前を全く知らないわけではなかったが、生まれて初めてまともに、この人の小説を読んだ。その感想を書く。

フランス人の、短編小説で有名な人っすね。新潮文庫版の、短編集がIからIIIまで全3冊ってのが、図書館で発見したんで、借りて。で、Iを、今さっき読み終わりました。

短編ばっかり24本も、このIの中に収録されてました。どれも猛烈に面白い!…というわけでもなかったです。何しろ古い本で、モーパッサン1850年生まれで、1893年に亡くなってますから。130年以上前に書かれた小説なわけです。古典は、時に、読んでて退屈になることもありますよね。最新作、同時代作のように、時代の要求を一通り満たしてくれていることを期待するのは間違いなわけです。この本の通読も、途中、つまんなくて苦労するタイミングもありました。が、とりあえずIだけだけど、読み切って、うん、なかなかこれは面白かったぞ、と、今は思えます。

短編一本一本だけをバラバラに読むと、ストーリーが単純過ぎたり、そもそもこれってストーリーになってんの?小説って、そこから教訓が汲めたりとか、ハラハラドキドキしたりとか、知識が増えたりとか、そういうのがないと意味ないじゃん?って、思うようなやつも多数あった。けど、モーパッサンの小説の価値ってのは、そういうミクロな視点じゃなく、多数の作品をバンバン読む中で、感じ取れるものなんだと思う。ってのは、かなり、バラエティに富んでるんですね。内容が多岐にわたってる。最後は自殺したりとか、やれ妊娠したとか、そういうのばっかなようで、実はそうでもない。根本的に違う内容、風景、感情が、色々な作品の中で、色々に表現されている。だから、ある程度、数を読むと、全体的に、フランスのこのときの生活模様ってのがマジ具体的に身近に感じられるし、時代や地域を超えて相通ずる、人生ってこういうものさ、っていうモーパッサンのメッセージが心に迫ってきて、魂が揺さぶられてくる。

一番面白かったのは、前から3番目の「田舎娘のはなし」かな。ネタバレになっちゃうんで、一行飛ばしますね。

 

で、「田舎娘のはなし」ね。まあこれに限らずだが、フランスの階級社会ってのが、ガチガチのものではなく、フレキシブルに身分の上下が、偶然や本人の努力次第で逆転し得るってのが、なるほどなー、って、思った。あと、ラストの終わり方が良いね、やっぱ。ジャックとの子が主人に受け入れられる。だからこれ、やっぱし、他の作品もたくさん読まないと、この「田舎娘のはなし」の良さがわからないとこなんだけど、モーパッサンは、何も、世の中を啓蒙しようと思ってこういうストーリーを書いたわけじゃないじゃん。明らかだよねそれ、だって、他の作品ではやれ自殺だのなんだのと悲惨な終わり方がたくさんあるから。そういうふうに全く完全に自由に動かしたペン先で、モーパッサンは田舎娘の婚前子が受け入れられるっていう物語を紡ぎ出した。それって尊いことだよ。実際そういうことってあるんだろうなって思う。

ちょっとした読書会でのちょうどいい読み物を探してて、モーパッサンに手を出してるんだけど、で、時間的に、この「田舎娘のはなし」は長すぎる。だから、読書会に「田舎娘のはなし」は持っていけないなあ。うーんどうするかな、Iの中じゃ、世の中の評判通り、「ジュール叔父」はまあ面白かったは面白かった。ま、あと2冊残ってるんで。IIとIIIを一生懸命読んで、それからネタを決めるとしますかね。やれ、急げ、急げ。

渋谷を放浪してきました

ここ最近、といっても年単位で「最近」だが、小説を読むときは、同時に旅に出ることにしている。ちょっと、とある場所での読書会の、次回の仕切りを俺がやることになったので、地元の図書館でモーパッサンに目をつけ、新潮文庫の短編集3冊をカバンに入れて、例によって旅に出た。向かった先は、渋谷。

細かく他のブログ記事とかも読み込まれてしまうと色々特定されてしまいそうだが、そうそう隠し通せるものでもない。渋谷は、若い頃からよく行ってた。その思い出の地を回ったりもした。

とりあえず、今日のコースをここに書き記しておく。井の頭線で渋谷にアクセス、マークシティの土手っ腹から道玄坂小路にショートカットし、そして今日一番の目的地である道玄坂通へ。小路に入って本当に一瞬で、左ななめに逸れるルートを使うと、道玄坂通の建物に吸い込まれた。

※あ、ちょっと解説しとこうかな、知らない人もいるかもなので。「道玄坂通」っていうのは、渋谷に新しく出来た複合施設の名前っす。ほら、ヤマダ電機が、文化村通りと道玄坂小路の両方に出入り口を持ってるじゃないですか。あれと似てて、文化村通りに2箇所、道玄坂小路にも2箇所の出入り口を備えた、通り抜けの面白さを追求した新施設ですね。あ、「道玄坂小路」がそもそもわからない人もいますかね?麗郷とか壁の穴とかのある、ドンキやH&Mあたりから道玄坂に抜けることができる、円山町のラブホ街のわきを通って、ちょっとエロい店とかもちょいちょいある、坂道の抜け道があるじゃないですか。あれが、道玄坂小路って名前がついてる道で、俺も実は最近、その名前を知りました。

さて、渋谷のプチ旅のルート報告に戻ります。で、道玄坂通をだいたいぐるりと見て、ちょっとどのカフェにも入りづらかったんで、一旦この建物を離れてセンター街のマクドとかにも逃げちゃったりしたんだけど、いやいや、せっかく来たんだからと、気を取り直し、道玄坂通に引き返し、で、勇気出して、シティベーカリーに初入店。吉祥寺とかにもあるけど、気後れして入れてなかったんで、俺はシティベーカリー自体も初だったし、もちろん道玄坂通の店に入ったという点でも初でした。入って、この店の選択が正解だったことがすぐにわかった。なんか、レジとかに隠れた死角になってるとこに、わんさか席があった。シティベーカリーが、他の店舗でも一貫して、座席に関してもそういう店の作りのクオリティを保ってるのかどうかは今回だけでは分からないが、渋谷のど真ん中でこういう隠れ家みたいな座席を提供してるのは、俺は実に気に入ったね。素晴らしい。でも、俺も遠慮しちゃって。地元の喫茶店だと、2時間は粘るんだけど、1時間で退店。渋谷だし。ここでは、モーパッサン短編集のあとがき・解説を読む作業ができた。

それから、Qフロントがもうすぐ全館改装工事に入るってのを小耳に挟んでいたので、その勇姿を最後に見届けようと、Qフロントに足を伸ばした。上まで行って、ぐるりと回ってきた。

んで、それから、その昔、マンガ喫茶だった、地下一階にあるキャンドゥが、ハンズ斜向かいのちょい手前んとこにあるんだけど、ここのマンガ喫茶はよく通ってて、何回目かの徹夜プランで、大学に叩きつけた自主退学届を、ここで書いたのであった。記憶がすでにかなりおぼろだが、おそらく俺が座ってた座席のあたりに置いてある商品を、時々、買っている。今日も同じことをした。友達を呼んで肉じゃがパーティーとかチリコンカンパーティーとかを開きたいと思ってたとこだったんで、スプーンを探してたとこで、で、キャンドゥのこの場所にスプーンとフォークが売ってた。んで、お買い上げ。

んで、もう17時も回ったんで、夕食を早めに食べて帰ることに。道玄坂通のフリホーレスもしくはウィズグリーンで、と、考えていたのだが、センター街とかをウロウロしてたら、気が変わった。俺は古い人間なので、交番向かいの兆楽を見たら、こっちに行きたくなっちゃって。で、その欲望のままに、入店、中華丼を食ってきた。

…どうも、いたずらに文字数だけが増えちゃって、あんまり内容のないブログ記事になってきちゃってる気がしてきたんで、こんくらいにしときますわ。備忘録にしかならないような文章になっちゃって、ごめんなさい。昔の思い出がよみがえりすぎちゃって、抱えきれなくなってきたんで、渋谷にいるうちに文章化したくなって、センター街脇のドトールに席を見っけて、これを今、書いている。

さあ、心は動いてる。今や、モーパッサンをどんどん読み進めるべきときだ。俺は、今を生きなければ。思い出は思い出、今は今。読書会を良いものにしたい。帰りの電車は、座っていこう。どんどん読みたい。

昔の大学近くでカツカレー食べてきた

人生に迷って、ブログ更新も滞ってしまった。

2週間ほど前に、良い転職のお誘いを受け、色々考え込んでしまった。

本来ならもう共通テスト英語の赤本をやり切って、手応えや感想をブログにアップしていたはずだった。

働く意味とか、今後の人生設計についてまで、色々考え、とうとう、プチ旅に出て、その旅先でこの文章を書いている。

旅と言っても、住んでる東京の中でのことなんだけど。

俺、最初の大学と喧嘩別れしちゃって、でも、いろんな良いこともたくさんあった。で、今日、その大学の近くの洋食屋さんに行ってきた。カツカレーを食べてきた。

味も美味しかったが、最初、店に入るときにちょい並び、そしたら、店から食べ終わって出てきたお兄さんが、「一つ空きましたよ」って、親切に声をかけてくださった。あと、俺が食べてる時、隣のお姉さんが、帰りかけ一瞬スマホを席に忘れた。それを教えてあげようとしたんだけど、なんだか、声が出なくって、俺。そしたら、お姉さん、自分で気づいた。

ここから、2つのことがわかった。まず、スマホの忘れ物を、普段の俺ならまず間違いなく教える。が、今日、ちゃんとたっぷり昨日は寝たのに、言えなかった。おそらく大学の後輩に当たるその子に、複雑な思いが、まだ、俺の中に渦巻いてるからだと思う。一言でいうと、まだ俺は大学を、大学全体を、許してないのだ。しかし、もう一つわかったこと。そんな俺に対しても、大学は悠然と構えており、まだ愛をかけてくれている。席が空きましたよって教えてくださったお兄さんも、また大学の関係者であろうからだ。

足かけ9年、在籍した、この大学。中退はしてしまったが、ここで俺はいろんなことを学んだ。大学時代のことがじんわりと頭に去来する。

ちょっとだけ歩くと、大きなターミナル駅にアクセスできる。この道を、大学時代と同じく、ゆっくり歩いて、スタバに入り、今、これを書いている。

いろんなことを、自分らしく、決めていける気がする。