『洞窟オジさん』という本を、読了した。その感想を書く。
親からの虐待に耐えかね、13歳で家出してサバイバル生活を43年続けた男性の話。
エピソードの一つ一つに目を見張った。新設にしてくれた人の話とか、魚を売った話とか。
保嶋さんっていう女性が、社会復帰したその男性を何くれとなくサポートするのが、本当に、素晴らしいことだと思った。
子供への暴力は、本当にダメだね。ここまで人を追い込むんだから。
『洞窟オジさん』という本を、読了した。その感想を書く。
親からの虐待に耐えかね、13歳で家出してサバイバル生活を43年続けた男性の話。
エピソードの一つ一つに目を見張った。新設にしてくれた人の話とか、魚を売った話とか。
保嶋さんっていう女性が、社会復帰したその男性を何くれとなくサポートするのが、本当に、素晴らしいことだと思った。
子供への暴力は、本当にダメだね。ここまで人を追い込むんだから。
稲見一良という作家の、『セント・メリーのリボン』という小説を読み終わった。その感想を書く。
今俺の手元にあるのは、光文社文庫の「新装版」で、表題作を含む5本の短編が掲載されている。それらを通しで読み、で、巻末の、東えりかという人による解説を読む前に、自分の言葉で感想を書いてみたいと思って、今、これを書いている。
俺、都会っ子で、全然知らないから、猟銃のこととか、猟犬のこととか、そこらへんのことがワンサカ書いてあって、視野が広がった。
世界観っていうのかな、書こうとしている対象が、スケールが大きいのも、気に入った。猟をして食べ物をゲットする、というのを繰り返し書くからには、人はなぜ猟をするのか、ということについて読者に考えさせるというのも、著者の意図するところなんだろう。戦争の話、盲導犬の話なども、大きく見れば、その底を流れる思想として、普段の生活の基盤となっている食料、平和、などなどについて、一旦立ち止まって考えるべきだ、ということなんだと思う。
前から2本めの短編の「花見川の要塞」にて、見えないはずの機関車が見えたというエピソードも心に残った。謎めいていて、著者の意図をすぐにわかろうとしないほうが良さそう。不思議なものを不思議なままにしておくことも時には大事だろう。
塾講師してて、生徒を送り込む先について知っておくのは良かろうと思い、昨日、天下の早稲田大学へと行ってみた。そのことについて、少し、書く。
カレンダーを見たら、2023年内の通常授業は12月25日(月)までだと書いてあった。年内に現場を踏みたい、せっかくなら大学が稼働している状態を生で見たい、と、この最終日に足を運ぶことに決めた。
で、このクリスマスの日、午前中に、到着。駅は高田馬場ではなく東西線の早稲田駅を使った。ああ、キャンパスは「早稲田キャンパス」へ。大隈講堂とかがあるとこ。
駅から歩いて本当にすぐ、現地に到着。良い雰囲気だった。いろんな建物がひしめいてるが、圧迫感はない。道幅がたっぷり取ってあるから。ホームページのどこかで、大学側としては、キャンパス全体をミュージアムにする、みたいな構想であると書いてあるのを見た。その言葉は嘘ではないのだろう。実際そんな感じだ。
キャンパスツアーアプリとかもあって、俺、ダウンロードまでしたのだが、結局使わずじまいだった。色々自分の判断で動き回り、それで充分楽しめた。演劇博物館の正面に大きなクリスマスツリーが飾ってあり、思わず写真を撮った。村上春樹ライブラリーもおしゃれだった。有名な政経学部の建物も入った。その他、各学部の建物、だいたい入ったかな。入学センター、だったかな、1号館のそういうとこ入って、パンフをいただいてきたのだが、丁寧な対応で感動。で、お茶は、それまで見た中から、村上春樹ライブラリーのカフェをチョイスし、ゆっくりした。最後に、大隈ガーデンハウスへ。カフェテリアで美味しい昼ご飯。で、早稲田をあとにした。
すっごく雰囲気が良かった。歩いてる人たち一人ひとりが、キャンパスに居ることに心底満足してる顔だったと思う。あんなとこに、俺の生徒を送り込めたら、良いなあ。本当に素晴らしかった。
『ムツゴロウの青春記』という古い本を手にしているのは、これは叔父からのプレゼントである。父の弟に当たるその人は、俺にも目をかけてくれていて、本やキノコなど、時々、いろいろなものをお送りくださる。
そのような本が、溜まってきていた。確実に俺の世界を広げてくれる本たちなのはわかっていたので、この年末年始に一気に読もうと前々から予定していた。首尾よく諸々のことが片付いたので、予定を前倒しして読書を始め、一冊目に選んだのがこの本だった。
たくさん色んな経験を積んできているムツゴロウさんに、まずは、うらやましいなあと思った。コンプレックス感じちゃうな。けどまあ、読むんじゃなかった、とは思わないけど。頭いい人の青春時代ってこうなんだな、って、勉強になった。
恋愛がな、俺は片思いばっかりなので、ちょっと共感はできなかったな。
中高時代の恩師の先生方のエピソードは、素直に感動できた。素晴らしかったと思う。俺も、一応、今、塾講師をしてて、中高生に影響の大きい立場にある。仕事にますます集中しなきゃ、と思った。が、同時に、自分自身の恋愛やその他経済面などに誠実に真剣に向き合わないと、生徒にまともな指導なんてできないよ、と、自分で自分にツッコミが入る。
ちょっとこの本の感想からは離れるが、なかなか最近ヘビーな生活してて。割とまあ頑張ってる方だとは思うんだけど、そんな中、昔お世話になった肝っ玉お母さんから贈られたお言葉を思い出す。「自分で自分を褒めてあげる」ことが大事やで、と、おっしゃった。頑張った日の夜、一人、このお言葉を思い出し、口に出して、頑張ったね、俺、と、つぶやく。すると、心持ち、何かが優しく溶けていく気がする。
そのように、人が一人ぼっちで居続けるというのは辛く悲しいことなんだ。お互いがお互いをナンバーワンと思い合う関係をこそ、人は本気で追求しなければならない。そのことを、この本は正面切って教えてくれている。良い本なのは間違いない。
久々の投稿になってしまった。前回のブログ記事アップ以来、ちょうど一ヶ月が経った。
大揺れに揺れたひと月だった…。転職の話は結局ナシになり。ダッシュで塾講師の仕事に戻り、なんとか出来うるベストな手は打ってるつもり。
やっとこさ、塾での授業準備に、なんとかもう一度本腰を入れ直し、ChatGPTを使った学習指導のやり方を研究したりなどして過ごしてる、この土曜日の午後である。
いやはや、参った。
中公文庫の、『結婚披露宴 新チェーホフ・ユモレスカ2』という本を、読了した。その感想を書く。また、これにて計4冊の「ユモレスカ」を読み終わったことになるので、その総まとめ的な内容も、書けたら書く。
チェーホフって名前は、皆さん、どこかしらで一度は聞いたことあるんじゃないですか。俺もそのくらいの認識しかなかった。ちょっと事情で、短編小説をたくさん読む必要があって、で、短編小説で有名な人を調べてたら、モーパッサン、チェーホフの名前が浮上した。ので、しばらくモーパッサンの短編集を読んでて、それ読み終わったんでじゃあチェーホフの短編集を、と、この「ユモレスカ」シリーズに着手。が、ちょうど今さっき、終わったのだった。
ユモレスカってのは、ロシア語で、ユーモア作品、というほどの意味だそうだ。小説に限らず音楽なども含まれる概念だとのこと。チェーホフ・ユもレスカ、とは、だから、チェーホフによるユーモア短編小説集、って感じの意味である。
話が見えなかったり、話がもたついたり、欠点を挙げればきりがない。そもそもこういう短編ってジャンルをどうも生み出した大元の人物のようで、手探りなのは仕方ない。パイオニアなんで。でも、1本、この『新ユモレスカ2』の中に、俺、大好きな短編が見つかった。5番目に収録されている「初舞台」という短編が、それである。いやー、本当に感激した。ネタバレしそうなんで、念のため一行改行しますね。
で、「初舞台」だが。弁護士として初めて法廷の舞台で働いた若い男性が、ほろ苦いスタートに悔し涙するのを先輩たちが最後は暖かく包むというストーリー。ああ、なんて、陳腐な俺の紹介文!マジ、泣くから。何かにチャレンジした経験のある人なら誰しも涙するよ、これ。女もかもしれないが、若い男の初心者の、心理の動き方、行動パターンが余すところなく、また無駄も一切なく、丹念に描写される。砂糖のクダリとか、小さなエピソードの一つ一つが、本当に的確に、100%あり得ることだと深く納得がいく。先輩法律家の慰め方も良い。人参色のズボンなど、またしても涙を誘う。こうして、各専門分野において、専門家が育っていくんだなあと、俺ら読者は泣きながら感じ入るのだ。
短編個別の感想から離れて、また一般論に戻るんで、一応もう一回改行した。で、上に触れた「初舞台」のような短編の傑作は、チェーホフの、様々な文学的実験のたくさん打った弾の一つがたまたま俺の心に命中したんだろうな。これだから、やはり何事もパイオニアに当たることは止められないなあと、思い直したわ。実は1本前のブログにて、『新ユモレスカ1』の感想文を書いたんだけど、その中で、もうチェーホフは文学的には終わってるとか書いちゃったんだけど、「初舞台」を読めて、また心が変わった。チェーホフは、「初舞台」を、誰のマネもせずに書き上げたんだろうと思うと、その説得力たるや半端なものではない。実際、丹念に読み返しても、横から見ても裏から見ても、堂々たる傑作だ。
さらにもうちょい話を深めるため、モーパッサンと比較してみようかな。モーパッサンもだいたい同時期に活動した短編作家のパイオニア。が、モーパッサンには「初舞台」みたいな話は書けなかっただろうな。モーパッサンは腐っても貴族で、そのために、生活苦の実体験からくる地に足の付いた安定感が感じられない。もっとも、従軍経験はその欠点を補ってあまりあるのでモーパッサンもやはり偉大だとは思うけどね。その点、チェーホフは16歳で家が破産、など、辛苦を味わってきているからだろう、職業、仕事というものに対する真摯な取り扱いはピカイチだ。
モーパッサンの方も、この場を借りて持ち上げとこうかな。逆にモーパッサンには書けてチェーホフには書けない傑作もある。新潮文庫の『モーパッサン短編集II』中の「勲章」と、チェーホフの『新ユモレスカ1』収録の「獅子と太陽」は、どちらも同じような、勲章をやたら欲しがる人、というテーマの短編だが、そういう人の堕落を描く時のモーパッサンの気迫たるやこの世のものではない。なんでそんなにすげえんだ?と、なんというかこう、芸術のための芸術っていうかさ、そんなこんなで、モーパッサンの「勲章」は、読んで後味の悪ーい、どよーん、ってなっちゃう、それはそれで傑作なのだ。こういうのは、チェーホフには書けない。
さて、チェーホフに、ユモレスカシリーズに話を戻す。そうだな、新潮文庫版I、II、中公文庫版1、2と通しで読んでみて、確かに傑作はあるけど、初期の雑文が多すぎて、ちょっと学術的すぎるかなとは思ったわ。1886年、1887年発表作だけを集中的に網羅的にまとめてくれれば、現代の読者はもっとスムーズにお気に入りの短編にアクセスしやすくなるんじゃないかと思った。が、読んでしまえば、やはりその1880年とか1882年とかの作品も通しで読むことで、チェーホフの文学修行の道のりをちょっとでも知ることができて、勉強にはなる。
中公文庫の『郊外の一日 新チェーホフ・ユモレスカ1』を読み終わった。その感想を書く。
チェーホフは、戯曲作家としても有名なようだが、短編小説としても有名らしい。そこで、ちょい図書館とかネットで探したら、ユーモア短編的な、ロシア語で「ユモレスカ」というジャンルの短編ばかりを集めた短編集が見つかり、新潮文庫で2冊、中公文庫でも2冊、あった。そこで、新潮文庫のから読み進め、今、計3冊目の、この中公文庫の1冊目を読み終わったところ。
どうも、超面白かった!という短編は、通して読んでみて、とうとう1本もなかったかな。「観念論者の思い出から」は、最後のどんでん返しに至るまでの精緻な書き込みが見事だと思う。が、同じくらいうまく書く人は現代にもたくさんいるんじゃないか。言文一致を日本で初めて開始したのは二葉亭四迷だったそうだが、じゃあ彼の作品は文学的にも名作か、読みつがれているかっていうと、そうでもないじゃないですか。チェーホフはパイオニアだとは思うけど、その作品すべてが文学的に面白いかどうかっていうとそれはまた別問題じゃん。同様にさ。
あと、気になった短編としては、「父親」。惨めな境遇の父親がこれでもかっていうくらい具体的に描写されてる。これとか、どこがユーモア短編なんだ。悲しすぎるよ。
もう1本、「善意の人びと」は、扱ってるテーマが、短編小説にも関わらず、深遠だと感じた。ただちょっと説明不足かな、もうちょい具体的にはっきり考えの表明が欲しかった。
ところどころ、パイオニアとしてのきらめきは感じるんだけど、娯楽を求めてひもとく本としての役割は、終わっているんじゃないだろうか。ああ、新潮文庫版「I」末尾の「ポーリニカ」のような短編がもっとあったら、こんなひどい悪口は書かなかったろうし、書きたくない。「ポーリニカ」レベルの作品をずっとずっと追い求めて読み続けてるんだけど、いつまでたってもそういうのがない。中公文庫版「2」には、あるのだろうか。苦しい読書の旅だ。