説明責任社会を目指して

大昔、生物学者になりたかったアラフォーが、今また再チャレンジ

「世代」についての考察

今回は、「世代」について思うところをエッセイにまとめてみようと思います。
 
俺は、1979年生まれ。現代用語を使うと、「ロストジェネレーション」の一人だと言えるでしょう。俺もあんまり詳しくないんだけど、適齢期に就職氷河期真っ只中で、諸々ひどい目にあってきた世代という意味だと解してます。で、俺ら世代は、この「ロスジェネ」という名前が付く前は、「団塊ジュニア世代」などとも呼ばれていた気がします。「団塊の世代」とは、太平洋戦争が終わった直後にベビーブームというのがやってきて、その時期に生まれた世代のことを指します。戦争が終わって、さあ、新しい時代がやってくるんだ、ワッセワッセ、と、生み育てられた世代ですね。人数も多いです。で、その団塊の世代が成長して、その家庭から生まれた次の世代が、俺ら「団塊ジュニア世代」というわけです。
 
団塊の世代は戦争を完全に知りません。ということで、戦争を知っている世代から敬遠され、新人類、ものがわかるとは思えない、という思い込みに苦しめられてきたことと推察します。しかし、戦争をしる世代も年をとってきて、だんだん団塊の世代が社会の中枢を占めるようになります。そうすると、何が起こったか。受けてきた教育が完全に違うわけです、戦前派、戦中派とは。さらに、さらにです。俺、思うんだけど、団塊の世代が特徴的なのは、受けてきた教育の内容が違うことに加えて、家庭環境、生まれてきた家庭の、構造と言うんですかね、それが徹底的に違うからなんだと思うんですね。
 
確かに、アメリカがやってきて、教育が変わった。しかし、それだけでは団塊の世代がなぜあそこまで行動力があったのかの説明がつかない。安保闘争、とか。教育のせいだけなら、戦中派の方々だって、変わったあとに教育受けたんだから。でもね。それだけじゃない。親がどういう思いで子作りをして生まれてきた子供だったのか。それが違う。戦争が終わった!新時代がやってくる。さあ、子供を産もう!という気持ちで、生まれてきた子供だったんです、団塊の世代というのは。教育に加えて、家庭環境が、そういう構造になってる。教育する側に、新時代を担っていってほしい、という熱意が特に込められていたと言えるのではないか。だから、特別、行動力にあふれる大人へと成長した。そう思います。
 
さて、時代は流れ、団塊の世代も年を取りました。その下の世代が、実質的に社会の中枢を担っているのが現状です。その下の世代は、ちょっと古い言葉ですが、「なんちゃってクリスタル世代」という名前がついていたかと思います。田中康夫の小説で、『なんちゃってクリスタル』というのがあるんです。そこに描かれた若者像が、非常に特徴的だということで、世代を表す名前に使われるようになったものと俺は理解してます。団塊の世代のように大風呂敷を広げることは決してせず、スマートに、現実を見ながら、さらりと生きていく。
 
団塊の世代が、大風呂敷を広げ、あらゆる方面に踏み込んだ結果、ビジョン・夢には困ることはなかったもの、秩序は乱れ、団塊の世代本人たちがいなくなったあとはどうなっちゃうの?誰が責任取んの?という状況が至るところで生じていたと思います。その一つが、家庭教育。団塊の世代の教育方針は「俺について来い」タイプで、考えさせ成長させる、いい意味での放任を一切しなかったため、ニートが激増。なんて、簡単にひとくくり出来はしないことは重々承知ですが、団塊ジュニア世代というのはそのように育ってきたと、とりあえず、一つの意見として言わせてください。
 
団塊の世代が去り、団塊ジュニア世代やその下の世代、例えばゆとり世代なども含めて、その人々を束ねていくリーダーの役目は、今やなんクリ世代が担っています。
 
団塊ジュニア世代=ロスジェネにとって、これは、とてもいいことだと思うんですね。なんクリ世代は、基本、優しい。受け入れてくれますから、ありのままを。そして、長所である「実社会で生きていくための現実的なセンス」も、ロスジェネに一番足りないもので、必要としています。そのような現実的なセンスを、俺らロスジェネは、なんクリ世代から教えていただき、成長していくべきです。
 
ちなみに、残念ながら、ゆとり世代はロスジェネのことが大嫌いだと思います。京アニ事件、カリタス事件がありましたから。なんクリ世代の子世代であるゆとり世代たちには、なんであんなになるまで家庭の中がメチャクチャになるのか、想像できないことでしょう。下の世代からの突き上げの圧に押しつぶされる前に、ロスジェネは成長し強くなっていなければならない。残された時間はそんなに長くありません。
 
今回の記事、結論はありません。ただ、普段思っていたことをつらつら書き下してみました。