説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

イギリスとアメリカの文化の違いについて。生物学畑からの見解

まだまだ勉強のやり方が定まっていないために、このブログの内容も安定したクオリティを維持することができておらず、申し訳ないです。
 
今回の記事では、生物学関係の本について、いくつか思うところをちょこちょこっと書こうと思います。網羅的な書き方は全くできませんのであしからず。
 
もう10年以上前になりますが、『二重らせん』という本を読んで感想文を書け、という課題が、その当時在籍していた大学で出され、読みました。DNAの二重らせん構造を発見したワトソン・クリックの、ワトソンの方、その本人が書いた本です。
 
面白いですよ。生物学、特に分子生物学がお好きな人は、是非読んでみると良いと思います。
 
アメリカの若いにーちゃんが、イギリスに留学して、ブリティッシュドリームをつかむというお話です。それを、本人の語りで追体験できる。
 
必ずしも美しい話ばかりではありません。先行していた研究者の重要なデータを勝手に見た、など、生々しくも醜い行為も、ワトソンはあっけらかんと書き残しています。そこらへんが、なんともはや、アメリカンなのです。
 
アメリカって、ノンフィクションの優れた本がバンバン出ることでも有名じゃないですか。そういう文化圏ですよね。その流れを汲んでると思う。事実をありのままに伝えるというのは一つの美徳です。
 
このワトソン先生は現在もまだご存命で、しかし、人種差別的な発言などが批判され窮地に追い込まれてらっしゃると聞きます。その、先行研究者のデータ盗み見などの件も、最近になってほうぼうで蒸し返され、例えば日本の高校の検定教科書『生物基礎』(数研出版)の中でも批判的な言及があります。
 
さて。それはそれとして、今、読みかけの本についても、この場で書きたい。『種の起源』っていう本なんですけど。有名なダーウィンが書いた本です。
 
まだ第一章しか読んでませんが、面白いですね。イギリス人の物腰というか、学問に取り組む姿勢そのものが、非常に興味深い。
 
『二重らせん』と比較して、全く、全く違うのです。
 
あんまり歴史とか詳しくないから恐る恐る言いますが、イギリスとアメリカって、独立戦争とかがあったじゃないですか。だから、この2つの文化圏には、共通点も多々あるけど、いくつかの点では、全く正反対で相容れないファクターもあるんじゃないかなと思うんです。
 
イギリスは、これは俺のアテカンですけど、うん、「中年の天国」という側面があるんじゃないかなと思う。『二重らせん』の中のケンブリッジ大学の生活の描写から、それを感じました。で、『種の起源』の読書をこれからしますが、そこらへんを確かめるという狙いも持ちつつ読み進めていこうというつもり。
 
物理畑からバイオに転向してきた気鋭のクリックには、たくさんバイオ話をさせることで頭を整理させることが必要だろう、と、若いアメリカからの留学生であるワトソンをあてがったのは、ケンブリッジのミドルクラスの先生方だと思います。そういうの、『種の起源』でも似たような話が出てきます。そもそも、ビーグル号っていう世界を回る船の船長さん?が、若い話し相手を探してて、それにダーウィンが応募し、採用されて、ダーウィンは南米やガラパゴス諸島に行くことになったんです。
 
ワトソンの話に戻ると、この、二重らせん構造発見という業績をあげさせようという営みそのものが、ケンブリッジの先生方たちによって、ファシリテートっていうんですかね、遠隔操作で緻密にコントロールされていたように、思うんです。
 
で、さらに、思う。そういうイギリス的な、年長者による遠隔コントロールみたいなのが、アメリカ人は、一番嫌いなんじゃないかな。そこ、イギリスとアメリカの大きな違いの一つになってやしないか。アメリカは、「若者の天国」ですよね。若くても実力があれば、活躍でき、大金を稼ぐことができる。しかし、驚くほど、文化の中心にあった人物が、寿命をまっとうすることはない。マイケル・ジャクソン然り、マリリン・モンロー然り。
 
生物学は、アメリカとイギリスのお家芸で、教科書は軒並み英語からの翻訳です。だから、英語を学ばなければならない。しかしですね、ただ漫然と英語力を身に着ければそれでOKかというと、全然それだけでは足りないと思う。アメリカとイギリスの違いを、もっとちゃんと、歴史的背景とかも知っておかないと。さらに、カナダやオーストラリアなども、独自の強烈なストーリーを間違いなく持ってることでしょう。
 
キャンベル生物学やらEssential細胞生物学やら、大学の教科書を読んでると、そのような英米文化圏の独占の中で、日本もかなりがんばってる。アジア出身では一番ではないでしょうか。
 
このような状況の下、日本はどのような役回りを選んでいくべきか。単に、英米に学び、追いつくということだけをやっていたのでは、密かに世界から期待されているニーズに応えることはできないと思う。イギリスとアメリカの壮絶な喧嘩の中立地帯として、休息の場となることはそのようなニーズの一つだと思います。
 
ダーウィンは、年取ってヒゲモジャのイラストがみんなのイメージに浮かぶじゃないですか。加齢とともにますます活躍した、っていうイメージですよね。一方、ワトソンは、若いときこそが絶頂で、年取った現在は悲惨。全く、イギリスとアメリカではここまで違う。違いすぎです。おそらく、コミュニケーションすら困難、というシチュエーションも時々発生してることでしょう。日本を含めた世界は、このイギリスとアメリカの文化的断絶の狭間で行き詰まった人たちを受け入れ、活躍の場を提供するべきです。