説明責任社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

『生物と無生物のあいだ』を読んで感じたこと

昨日から読んでいた、『生物と無生物のあいだ』を、今、読了しました。

 

ちょうど昨日、電車移動が長かったから、その移動時間中にでも読もうかと軽い気持ちで読み始めたんだけど、読了すると、すごい満足。小さい本だけど、ものすごいたっぷりな内容だった。

 

ワトソンとクリックのDNA二重らせん構造発見の経緯や、それを含むもっと根本的な大きな生物学の歴史について、アメリカ現地にいないとわからないような諸事情が、平易でわかりやすい日本語で書いてある。

 

エピローグで著者の福岡先生の原点となる子供の頃の記憶の話が出てくる。それも、俺はとても面白く読んだ。

 

ただ、本当に生物学が好きで、で、ある程度生物学の勉強も進んだ人じゃないと、完全に読みこなすのはちょっと難儀するかなとは思った。副読本としては文句なし、完全無欠の本だろう。

 

研究者としてやっていくとはどういうことかについても、微に入り細に入り、手ほどきしてくれるのは、俺は他書では読んだことはなかった。これ読んで、40過ぎの俺は、ああ、俺自身はもう研究者にはなることはできないんじゃないかな、それより教育に携わるほうが良いんじゃないか、向いてるんじゃないかと、本気で考え始めた。

 

いやマジ、実はこの前社会人入試に落ちたんだけど、あれが、本当に俺が研究者になるためのラストチャンスだったんじゃないか。で、それは、もう終わった、過ぎ去ったんじゃないか。

 

まあ、いくつになっても遅すぎるということはない。ただ、自分でも納得の行く生き方として、研究者になるというセンが薄くなりかけてるのを、この本を読了して、感じた。