説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

2021/10の振り返り:聖書を読んで、人生思い通りに行かないストレス状態から発想転換しかかってます

ブログで何をどう書いていこうか迷い中。

ブログとは別に、エバーノートで詳細に日記をつけて6年。一人で書きなぐってても埒が明かない、と、最近になってこのブログで日記を書き始めたんだけど、エバーノートとのすみ分けがどうもまだやり方が定まらず。

とりあえず、そうだな、このひと月の中で、ブログで書いても問題なくて、それでいて、ちょっと面白いんじゃないかと思うことを書きます。

てか、エバーノートから、ここにちょっとコピペしますね。2021/10/28木の夜に書いた文章です。

(コピペ開始)

↓↓↓

・今日の聖書を読んで、最近思ってることをまた思った。自分の思い通りに行かせるよう無理やり努力する、ってんじゃなくてさ、まあもし俺がクリスチャンだったら「御心が成りますように」っていう、そういう発想が必要なんだと思うね。俺が何かを目指して努力することと、世の中に対してそのとおりに俺が認められていくこととの直接的な関係は、あんまり求めるべきじゃない。たまたまそうなったらそりゃそれで嬉しいことだけど、本当に大事なのは、御心が成ることであり、そのために直接的間接的に俺は自分の人生時間を使って地道に努力を重ねたい、努力することができたら、その事自体に対して神に感謝。だね。仏教でも神道でも同じようなこと、教えてんじゃないのかな。これが宗教からの教えであり、戦後日本的無宗教という一種の宗教が徹底的に欠いていたものなんじゃないだろうか。
↑↑↑
(コピペ終わり)
解説すると、俺、毎晩キリスト教の聖書を、旧約、新約それぞれ一章ずつ読んで、それに対する解説文を、『ちいろば牧師の一日一章』っていう本で読む、というのをやってるんですね。
俺は生物学の研究者にどうしてもなりたかったけど、状況次第で柔軟に考えることも大事だよね、っていう話の流れのなかで書いたのが上の文章です。たまたま「生物学」っていうワードを省いて書いたから、色んな人に、自分の事情を当てはめて読んでもらえるんじゃないかなと思って、エバーノートから転載してみました。
 
こんな感じで、ブログでは、エバーノートをまとめたあとの一番いいと思ったとこを抜粋して、そのエッセンスを、適度な長さで紹介していく。というのを、やっていこうかな。今後。
それとは別個に、「このブログについて」っていうページをフル活用してこのブログや俺の人生の狙いを明確に表現したい。また、人生目標も、もっとシステマティックにリストアップしてみたい。
いろいろ、やりたいことがあります。