説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

2021/11/07日の振り返り:楽しみにしてた会合、終わってみたらちょっとしょっぱかった

まだ午後3時半だが、振り返りを済ませてしまうべく、地元のエクセルシオールにてアイスコーヒーをなめているところである。

 

友達と語らって作り、1年余り続けてきた、3ヶ月に一回ほどの頻度の勉強会を、今日の午前中に敢行してきた。

 

俺自身が、社会人入試の結果が不合格となり、で、また、もうちょいしばらくは働かないで勉強に集中する、まあ世の中から見れば正真正銘のプー太郎まっしぐらなこと。俺のこの変化が、友人一人ひとりと俺との関係にも影を落とし始めているのを感じた。友人本人が全く変わったことがなくとも、俺のほうが、友人に対してや、また広く社会に対して、引け目を感じ、卑屈に顔色をうかがうようになってしまう…。最初はそうとは気づかない。今まで感じたことのない微妙な感覚を、ひと呼吸置いてつらつら分析してみて、どうもそういうことなんじゃないか、と、今、思う。

 

切ないことだ。だが、変わっていくことは社会に生きる人間というものの性である。人生の荒波に揉まれて、人は、変化に動じない立ち位置、スタンスを編み出そうともがき続ける宿命なのだ。