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2021/11/10水の振り返り:『細雪』下巻の読書感想。全体通しての編集方針にブレを感じるが戦中期の生活の描写は貴重

このところ、病的なまでの朝の弱さが、薄らいできてる気がする。

まずまず俺にしては朝から活動できた。

 

で、ここ数日取り掛かっていた谷崎潤一郎の『細雪』を、とうとう下巻を読み終え、全体を読了した。まだ午後3時そこそこだが、今日の振り返りブログ日記の場を借りて、細雪の感想文をここにしたためておきたい。

 

一昨日、昨日と、それぞれ上巻・中巻の感想文ブログをアップした。そっちの方で書きたい放題色々書いたので、もうあんましさらなる考察とかが心に残ってない。ただ思うのは、なかなか結婚にまでたどり着かなかった雪子の境遇が、国際社会の中で孤立していた当時の日本をそのまま表してるわけではないだろうが、出口の見えない暗中模索という意味では共通してるような気が。いや、考えすぎかな。

最初から色眼鏡をかけて読みたくはないから、ウィキペディアとか巻末の解説とかはあえて一切読まずに小説本文をまっさきに読んで、読んだ直後にこれを書いてる。でも、ちょっと目にした情報だと、この細雪の発表時期が、「1944〜1948」となってて。てことは、上巻を発表したのは1944年で下巻は1948年ということか。下巻は、だからか、なんか、重苦しさからの解放というか、いやプラスなことだけじゃないな、上巻までは横溢してた矜持みたいなものが、もしかしたらなくなってるかもしんない。あと、これは中巻の感想文でもちょい書いたこととかぶるけど、太平洋戦争終戦の直前期の、ともすると忘れ去られがちなこの時期の人々の生活が丹念に描写されていて、貴重な記録だなあと思うのである。

全体を通してみて、編集方針の一貫性のなさを感じるということも、書いておこう。だから、なんのために、何を目指して、この小説を書くのかという、コンセプトがぶれてる気がするんだよ。谷崎潤一郎本人が、もしかしたらぶれてたのかもしれないけど、俺はそうはあんまり考えてなくて、社会そのものが大きく変化していったせいで、その変化が谷崎の書く姿勢に変化を強いたということがあり得るんじゃないかなと思った。あと、戦時中だったらそれこそ検閲とか、あと、出版社の編集者が、家庭生活のほうが大変で仕事どころじゃなかったということもあるかもしれない。読んだあとだから言えることだが、そういうブレみたいなものも、貴重な記録として大変興味深い小説だと思う。でも、これから読む人に、そういうブレを目にするのも一興ですよなどと勧める気にはならないけど。

終わり方が、著者が力を出し尽くしたように終わったのが、俺はこういう終わり方で終わった小説は初めて読んだかもしれない。長い小説なので、読み切った読者の側の一員である俺としても、読んだ直後の「終わった!」というのを共有してるような気分である。

 

戦中と戦後とをつなぐ文化の架け橋のようなポジションを占める重要な文学作品だと思った。