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ゴッホ展の感想。『悲しむ老人』が俺は一番好きです

友達同士3人で、ゴッホ展に行ってきた。

とても楽しく、展示を見ることができた。このブログ記事で、ゴッホ展の感想を書く。

 

ゴッホ展専用ウェブサイトをご覧になった方はご存知でしょうが、今回の絵は、有名な一人のゴッホコレクターのコレクションが大半だったんです。

で、そのコレクターの、まずはゴッホ以外の作品から展示スタート。やれミレーだのルノアールだのに混じって、俺の好きなスーラの絵も一枚来てた。よく見たが、俺の肉眼では点描なのかどうかがよくわかんなかった。あと、このルノアールのは、カフェのかわいい女の子がバッチリ書いてあるやつで、これには俺、感激。

次に、いよいよゴッホの絵の展示が始まる。年代順に。まずは鉛筆とか、あと、あれは水彩なのか?油絵じゃないやつが続く。人物だの風景だの色々あったけど、俺は、老人とかを描いた人物画が特に面白いと思った。顔のアップも悪くないが、俺としては、全身がバランス良く額縁に収まってるタイプのが好き。

で、時代が進んで、油絵の展示がスタート。あれ、油絵の前からあったかもしれんけど、ジャガイモの静物画とか、あと農夫の人物画とかに、時代を感じた。19世紀末の食糧事情、世相を反映してると思う。だから、ゴッホがターゲットにしている鑑賞者は、だいたい100年後くらいまでであって、それより長くも短くもない。文学と違ってデジタルデータになりにくい、絵画という媒体の宿命でもあろう。『種蒔く人』の麦畑の感じとか、今日原画を見て、帰りがけに絵葉書を買って、今、自宅で絵葉書見ながらこの文章を書いてるんだけど、全然違うもん。原画と絵葉書で。原画の麦畑は、絵の具がもっとこう盛り上がってて、光の反射を浴びてうねってる。

なんか、ゴッホは、一時期南仏に行って絵を描いてたこともあるそうで。で、また南仏を離れて。精神を病んで。そういう時代順に絵も配置されていたと思うんだけど、俺の目には、そういう時代時代で根本的に作風が変わったようには思えなかった…。俺が変なのかな。『青い花瓶の花』とかは、いつなんだろ?これ、友達の一人が好きだって言ってたんで、絵葉書を買ったが、うん、俺もこれは名作だと思う。これとか、南仏時代かもしれない。気になってくれた方は、グーグルで「ゴッホ 青い花瓶の花」って検索して見てみてください。本当にきれいです。

だけどね、俺が一番好きなのはなんと言っても『悲しむ老人』!椅子に腰掛けて悲嘆に暮れている老人の人物画なんだけど、この着てる青いパジャマみたいんが、輪郭が歌舞伎絵みたいに大胆に太い線で描いてあって、本当に迫力がある。座ってるのを額縁いっぱいに収めてあるから、宇多田ヒカルのAutomaticのMVみたいに、ギュッと密な空間表現になってる。この人が立ち上がったら、と思うと、強制的に額縁の外側まで想像力を広げられる感じを、俺は好ましく思う。

きれいなものを描くのは、たくさん他の人もやってる。そんな中、ゴッホをわざわざ見るべきなのは、やはり、苦しむ人間の姿が描かれているからではないだろうか。苦しみ、悲しみというのからは、普通、目をそむけたくなるのが人情である。しかし、ゴッホは、37歳と短い人生ではあったが、一貫して苦しみから目をそむけなかった。そのような画業が進化した先に、例えば今回のゴッホ展イチオシの『夜のプロヴァンスの田舎道』のような、風景画なんだけど感情を不思議と掻き立てる作品が生み出されていったのかなとも思う。

が、俺がまだお子様なせいか、絵に詳しくないからか、俺には『悲しむ老人』こそが少なくとも今回の展示の中でナンバーワンだという気持ちに変わりはないけど。

 

『種蒔く人』オンリーでも展覧会には充分すぎるほどだと思うし、正直、今回のゴッホ展のボリュームは、普通の展覧会の3倍くらいはあったんじゃないかな。

とても楽しかったです。