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大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

『デイヴィッド・コパフィールド』岩波文庫版第3巻の感想

主人公の恋する相手の女性がどんどん現れ、それぞれ全く違う衝撃的な言動をかましまくる。さすが世界の十大小説に選ばれただけある、登場人物たちのキャラ立ちっぷりは本当にすごいの一言。

大長編あるあるかもしれないが、読んでる最中に、読者である俺の事情が変化し、読み通すモチベーションを保ち続けるのに困難を感じる局面も、さっき、あった。『コパフィールド』は後で英語の原文を読みこなして暗記用教材としても使うために、まずは翻訳をダーッと読む、という方針でそもそも読み始めたのだった。しかし、そのために中断しようとしている『グレート・ギャツビー』の暗記作業を、お恥ずかしながら、いや、やっぱりまずこっちをやり抜いてから、それから『コパフィールド』に取りかかるべきでは、と、心が揺れている。で、それなら何日もかけて『コパフィールド』の和訳文に英検直前のこの時期に取り組むよりも、『ギャツビー』の英文や朗読音声に一日でも早く戻るべきではないか、と思うと、長大な『コパフィールド』がちょっとうらめしく思い始めた、と、ここで告白しておく。

しかし、不満の山を超え、夜のマクドナルドでやっとこさ第3巻を読了して、ちょっとはスッキリできている。やはり始めたことはきちんとやり切るというのは精神衛生上も良い。

と、自分の事情ばかり書いてしまった。『コパフィールド』第3巻の具体的な内容についても触れたい。時代背景も合わせ考えなければ的を得た評価というのは困難だと思うが、それにしてもユライア・ヒープの描き方はひどいなと思う。出身階級の低い人間がより上の階級の人間を食ってくという状況を、限りなく醜くこき下ろしてるが、じゃあ低い階級の人間はずっと低いまんまで我慢しろっての?でも、そうだなあ、ここまでひどい書き方を迷わず選ぶディケンズは、実体験として、そういうヤカラに実際会ったことがあるのかもしれないね。だったら、しょうがない。

あと、会話文がガンガン続く箇所のいくつかが、一読してわかりにくい。これ、英語から日本語に翻訳するときに付随して発生した欠点なのか、原文がそもそもわかりにくい書き方になっちゃってるのか、はたまた俺の理解力が低いか。これらのいずれかだと思う。でも俺が会話文の箇所を嫌いなわけでは決してないことは強調しておく。その当時の人々の生き様がまるで写真に撮られたみたいにパシャッと写し取られてる感じ。この小説が持つ宝物の一つであろう。

このブログ記事では、こんなところかな。がんばって、第4巻、第5巻も気合い入れて近日中に読もう。