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大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

柳美里の『ゴールドラッシュ』読書感想:主人公は罪を犯したが、反省し罪を償えば許されるだろう

柳美里の『ゴールドラッシュ』を、今、読み終わった。読了直後のこのタイミングで感想文をしたためておきたく、このブログを書いている。

主人公が、ちゃんと名前があるにも関わらず、小説内で終始「少年」と呼称されるのが特徴的。横浜内外の各所を巡って物語が展開し、そのほとんどを知る俺の心にストーリーの一つ一つが突き刺さった。

大昔に一回読んだはずだが、今回再読してみて、全く完全に忘れてしまっていて、今回はじめて読んだように感じた。読んでよかった。

人を殺すまでの状況説明と、殺した後の心の逡巡の描写は、リアルに感じた。

人は、他の人とのつながりを求めてる。それが諸々の事情で、そう思えないこともある。けど、やっぱり、他の人とのつながりを求めているのは変わらない。

罪とはなんだろう。取り返しのつかないことというのがこの世には確実にあって、許されない罪を俺に対して犯した人は絶対に許さない、また、取り返しのつかないことをしてしまった過去の自分の行為も、永遠に許されることはないのだという考えが、夜、一人でいるとき、何度も俺の頭をよぎる生活を長く続けてきた。しかし、本当にそうなのだろうか。

この少年の心の動きの描写をこの小説で読み進めてみて、確かにこの主人公は罪を犯したが、反省し、服役するなどして罪を償えば、許されて、社会復帰するのが相当だ、と、俺は思う。

許されない罪、という概念が、そもそも、幻影だったかな。