説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

2022/04の振り返り:すったもんだの末、やっと、塾講師として働き始める。しかし、講師の腕前が未熟なことに気づく▶人と交流しながら「許し」について考え実践するため、キリスト教教会に関心

就活が、方針が二転三転し、苦労しながら過ごした。この2022年の4月は。塾講師を一度断念し、事務職で活動を続け、あえなく書類選考で落とされ、再び方針を塾講師へと向け直した。で、とうとう、ある塾で雇われ、仕事を開始した。

で、授業を始めたのだが、なかなか難しい。指導術といったものが、そういうノウハウがまだ確固たる技術をまだ確立できていないことに気づいた。ので、5月以降しばらくは塾講師という職業の職業能力を高めるための諸々にかなりの時間を割くことになりそうだ。

その他、ちょっと抽象的な話になるが、「許し」についていろいろ考えた。この4月の一ヶ月間。内心で恨みの気持ちを抱えてる両親を、心から許す。過去に俺に対してひどいことをした友人、先生などを許す。消極的に、許してもいい、というのでなしに、こちらから積極的に許しに行く。そしてまた、人に対してひどいことをした自分自身をも、許してもらえるかもしれないと、その可能性を信じることができる状態へと至りたい。で、こういうのが、難事業なんで、一人だけではなかなかこんなんだと思う。で、宗教にサポートをお願いし、もちろん宗教に所属することで努力量が減ると期待するのは都合が良すぎ、相当努力は必要だろうとは思う。が、そういう「許し」作業を、他人と深く関わりながら進めていくというのは非常に大事だと思うんだよね。で、今までの人生経験から、俺は、キリスト教教会と関わりたいなあと考えている。

来月は、塾講師のノウハウを、働きながら読書も進め、磨いていきたい。また、教会の礼拝に参加したり聖書を読んだり洗礼について情報収集したり、もちろん自分で色々考えたりして、「許し」について考えを深めていきたい。人と交流しながら。