説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

プチ夏休み、終了

塾講師で短時間勤務をスタートして、自由時間を全て使って中学の各科目の検定教科書をガリガリ勉強する生活が、4ヶ月近く続いてた。

で、せっかくの夏だし、一日、自分なりに夏休みを取ろうかと、そう思いながら、休むんだという気持ちでちょい限界以上に頑張って、地理の教科書を超特急で終わらせて、フリーな日程をこじ開けちゃった。ので、もう後には引けないし、そこで今日(2022/08/29(月))、まあ夏休みということにして、遊んできた。で、夕方帰宅して、筑前煮弁当で夕食を済ませひと息ついて、今日の夏休みを振り返ろうと、このブログを書いている。

夏休みってことで、何をやるかかなり迷ったが、結局、新宿のスパに決め、行ってきた。テルマー湯ってとこ。今日ポスター貼ってあって、なんか7周年ってことで。ま、まだまだかなり新しいとこだね。

普通にお風呂入って、それから中のレストランで昼食。豚キムチ定食にした。ああ、あと、お風呂上がりに瓶詰めのコーヒー牛乳を飲んだのは、うれしかったね。これは瓶じゃなきゃダメなんだよ。そこらへん、横浜のスカイスパはわかってくれてないのは残念だ。それもかなり大きい理由で、横浜じゃなく新宿に行ったのかもしれない。スカイスパも昔から行きつけなんだけど、いつからか瓶の自販機が消えちゃってて。まいったよ。

話をもとに戻す。だから、テルマー湯では、無事、瓶のコーヒー牛乳を飲めて、で、豚キム定食。で、それからラウンジでかなりしつこくぶっ倒れて寝てた。そうそう、今後気をつけようと思った注意点を、自分に向けてここに書きたい。みなさんもよかったら参考にしてみてください。ガッツリ休むんで、いいアイディアとか思いついたら書き留めようと、レストランとかに、実は、ペンとメモ帳を持ち込んでた。ラウンジに休みに行ったときも、しつこくそのメモ帳を持ってった。けど、やっと気づいて、わざわざロッカーにメモ帳は戻しに行った。あのね、本当にしっかり休もうと思ったら、文字を書いちゃダメなんだよ。その昔、ひょんなことからユダヤ教教会の安息日にお邪魔させてもらったことがある。そこでは、ラビの指導の元、みんな、文字を書いちゃダメ、仕事をしちゃダメ、って、しっかりそういうルールで休んでたもん。

また話が逸れ始めたんで、もっかい元に戻す。そうそう、で、ようやく手ぶらになって、ラウンジで、しっかり「何もしない」を満喫。で、回復したと思ったんで、新宿の街に出る。本当は、テルマー湯に隣接してるゴールデン街のどっかに行きつけのお店でも持てればもっと楽しいんじゃないかと思うんだけど、俺、あんまりお酒をガブガブ飲むの嫌だし、金的にも健康面でも。で、仕方なくゴールデン街は素通り。で、せっかくの新宿なんで、夜とかに見るためのちっこい良い感じの画集が欲しいなあと思って、紀伊國屋書店本店へ。しかし、なんだか、やはりアマゾンとかに押されまくってか、紀伊国屋の品揃えが、イマイチで。悲しい。

んで、アップルストアにちらっと寄ろうかと思ったが、いやいや、あそこはコロナ対策で予約客しか入れんだろどうせ、と思って断念。で、南口のスタバに昔の恩師との思い出があるんで、向かおうかと思ったが、行く途中で、いややっぱり新宿で画集が欲しいんだ!と思って、行き先変更、西口のコクーンタワー下のブックファーストへ。そしたら遥かに品ぞろえが良くて、歌川広重の名所江戸百景ってののポストカードブック、ってのをお買い上げ。後で気づくが、俺が本当に欲しかったのは東海道五十三次だった。まあ、旅先での買い物なんて、そんなもんだろう。この機会に、名所江戸百景も愛そうと思う。

で、すぐ上の階のタリーズにて、頭の整理。夏休みの「休み」は、もうテルマー湯で大体完了してたんで、で、かばんに入れてきた、次に読む教科書の、社会科の公民の本と準拠参考書を、本に折り目をつけながらざっくり内容を見るっていう作業をする。で、テルマー湯の湯冷めもだんだんできてきて、頭もはっきりしてきたんで、電車で地元に帰ってきた。そのまま自宅に戻り、今さっき、早めの夕食に冷蔵庫の筑前煮弁当を食べた。

これにて、俺の今年の夏休みは終わり。前倒しで今夜、公民の教科書の冒頭部分を読んじゃいたい。これから出発。

ああ、そうだ、電車に乗る前に、新宿西口の小田急エースの太子堂で豆大福を買い食いしたっけ。昔、西口の朝日生命でバイトした時、社長が太子堂で豆大福買ってきてくださって。その旨さが忘れられなくて。なんか、太子堂の店舗がロータリーの反対側に移動してたりしたけど、気合でたどり着いて、タクシー乗り場前でウグウグ食った。そのロータリーも、思い出が。新宿で家庭教師したことがあって。お母様に帰りは毎回車で送っていただき、ここで降ろしてもらったものだ。

人は、思い出を食べて生きている。

だから、人に優しくするとは、人に良い思い出をプレゼントするということなんじゃないかな。人に対して、そういう接し方をしたいものだ。