説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

走れメロスの感想

今更だが、「走れメロス」の感想を、ここに書く。なぜ今このタイミングで?だが、いや、多科目対応の塾講師を始めたんで、光村図書の国語の検定教科書を1年弱前に読んだんで。中2の教科書のラストを飾るのは、今も昔も走れメロスなのである。
あまりにも有名で、また、比較的短いんで、走れメロスを読んだことのある方に向け、最初からこのブログを書いていきますね。
まず、俺の一番好きなフレーズは「若いときから名誉を守れ」です。これ、塾講師をやる遥か前から、覚えてた。本当にそうだよなあと思う。名誉と年齢の大小って、マジ関係ない。何歳のときでも、だから、ちっちゃい子供のときも、また、将来老年に差し掛かったときとかでも、その時々に応じて、取り組むべき課題があり、その人生課題に誠実に向き合うかどうかというのは常に現在進行形の問題であり続けるんだと思う。
あと、小説の内容が完全につじつまが合っていて、心置きなくメロスやディオニス王、セリヌンティウス、妹、妹婿などに感情移入できる。例えば、メロスは、もし王の暴虐を知ったのが婚宴に必要なものの買い物の前だったら、買い物をせずに王宮に向かっただろう。そうすると、セリヌンティウスを人質にして直接帰村することができなくなり、小説のスピード感ががっくり落ちる。また、結婚式後にひと寝入りしなければ、まだ川の水は増量してなかった可能性があり、それがますますメロスの妥協の罪深さを際立たせる。実に、一つ一つの事情がうまく噛み合って、ドラマティックな結末へと向かっているのだ。そもそも、主人公の名前を「メロス」と3文字にまとめたことも、素晴らしい発明だった。これがもし「走れセリヌンティウス」だったら、長すぎて言いにくいことこの上ない。
でも、ここらへんの設定のうまさを、「計算」という言葉で言い表したくない。計算、じゃない。そうじゃなく、太宰治は、文字の羅列によって、メロスという英雄を誕生させたかったんだと思う。そのために、心血を注いで、走れメロスの各種設定を考え抜いたのだろう、きっと。
一旦疲れ切ってから、清水を飲んで復活し、頭が空っぽになって走り抜いてギリギリ間に合う、というラストの一連の流れだが、なんでだろう?こんな達成を俺自身はしたことがないはずなのに、この流れを「リアルだなあ」と感じる。太古の昔から生命が体験してきた記憶が呼び覚まされているのだろうか。