説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

柳美里『命』読書感想

柳美里という作家の『命』という本を、今読み終わった。感想文を以下に書く。

柳美里を嫌悪する人も中にはいるだろうけど、その嫌悪感の理由みたいなものがあるとしたら、その塊みたいな内容だった。強い情念を生のまま壁に投げつけてできた絵のような文章だ。ただ、俺は柳美里を敬愛してるんで、かばうようだけど、柳美里の本によく表現される強い感情って、誰もが持っているものであって、ただ柳美里はその感情をもろに活字の形で世の中に発表できちゃう能力と運命を併せ持っていた、ということなんじゃないかな。

ただセンセーショナルなだけの内容ではない。難しい人間関係の間を縫うように、初めての子供を産む彼女を、俺は尊敬して止まない。

かと言って、根拠も何もなくただ柳美里を礼賛するだけってのも、全く意味ないと思う。もうちょい、俺自身の言葉で、この『命』を俺はどう読んだかを語りたい。

てか、生活圏が近いんだよ。この『命』の中で、柳美里が汗かいて歩き回った渋谷とか、全く同時期に俺もそこらへんいたからね。あと、同じ横浜出身で、柳美里のお父さんは黄金町勤め、俺はその二駅先の井土ヶ谷に住んでた。

自分の感情に振り回され、人も振り回し、激しく影響を与え合いながら、人生を生きている。文章からはっきり、柳美里のそういう生き方、呼吸のようなものを感じる。叫ぶように書く、そんなふうに書くことで、生計を立てている。そのようにして生み出される文章は、時に生々しすぎて、茶の間の団らんにはそぐわない。だから、長期的に安心できる小説とはならず、その文学的価値とは裏腹に、このままだと埋もれていってしまうだろう。現に、新潮文庫版は、絶版になってんじゃないかな。出た当初はベストセラーになったんじゃなかったかな、でも、文庫版は売れなかったのかな。

音楽とかうまいレストランとかでも同様の現象があるけど、本当に良いもの、個人的に本当に良いと思えるものって、結構しばしば、あんまり売れてるものじゃなかったりするんだよね。食べログとかオリコンチャートとか、参考にはなるし重要だと思うけど、自分で感じて求めていくことって、それ以上に大事なことだと思う。『命』は、そういう俺の個人的なアンテナに引っかかって、読んでみて、これは素晴らしいということになった。

柳美里は、生まれてくる息子の父親と決裂したりと、色々厳しい状況に立たされる。けど、この物語が俺の心を打つのはなぜかというとさ、人間がひとり生まれるっていう時って、本当に人それぞれ色んな事情があって、どの子をとってみても、その子の誕生を取り巻く事情の複雑さってのは、結局んとこ同じだけ深刻だからなんじゃないかな。柳美里は確かにシングルマザーでなおかつ在日韓国人であり、本当に大変だろうと思うんだけど、読みながら思ったのは、あ、俺が生まれるときってのも、両親をはじめ色んな人を巻き込んで、色んな情念の渦の中、俺は生まれたんだろうなあ、と。そして、人間ってのが、全員が全員例外なく、そのような情念の塊の中から世の中に向かって飛び出してきた稀有の存在なのであり、マジ、大切でない人なんて世の中一人もいないんだ、と、心から思ったよ。

ちょっと今はこれくらいしか言葉が出てこない。一晩寝たら、また更にまとまった感想が持てるかもだけど、とりあえず今回の感想文は、こんな感じで。