説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

柳美里『魂』読書感想

柳美里の『魂』を、今、読み終わった。感想を、ここに書く。

このブログを書いてるのは2022年末の12月30日。彼女の前著『命』の内容があまりにもすごかったので、びっくりして、絶版になってる、『命』の続きの文庫本をアマゾンで注文し、新年2日までには届く手はずを整えたものの、いや、年が明けるまでの、今、読みたいんだ!と、昨晩さらに色々ググっていろいろ調べてた。すると、KKベストセラーズってところからこれらの本が一冊にまとめられて再版されてることを知った。大手書店の在庫確認をグルグルしたとこ、丸の内のオアゾ、池袋のジュンク堂、新宿の紀伊國屋書店に在庫があることを確認。で、新宿を選び、10:30開店直後に紀伊國屋書店行って、無事に、このKKベストセラーズの分厚い本を入手したのだった。

柳美里が出産した時期から始まる疾風怒濤の期間の記録が、いわゆる『命』四部作、すなわち『命』、『魂』、『生』、『声』である。ブックオフで29日に『命』と『声』は入手でき、『命』を読了したのだが、順序から行って第四部の『声』を先に読むわけにも行かず、『魂』と『生』が届くのは1月2日。というのを、今日の新宿行きで、時計を3日間巻き戻し、このKKベストセラーズから出てる、『命』四部作が全部入った、『永在する死と生』という作品集を買ったというわけ。で、『魂』を読み終わったのは地元に帰ってきて午後4時頃だった。

 

具体的な感想だが、まず書きたいのは東由多加が丈陽を最後にお風呂に入れたシーンについてである。非常に感動した。末期癌の男が、元恋人が別の男との間に生んだ赤ちゃんを、何度も何度もお風呂に入れる。その最後に入れたシーンが、頭から離れない。競泳のテレビ実況を真似た楽しいおしゃべりで、赤ちゃんをあやしつつ、痛む身体で、赤ちゃんを洗っていく。あまりの優しさに心が震えた。落ち着いて読んでいられる限界を超えている。ここを読んで俺は、今後の生き方に影響が出てくるだろう。

このように、激しく物語が進行していく『魂』だが、この『魂』に限らず『命』、また他のいろんな小説とかでもそうなんだけど、やっぱり指摘しなきゃいけない、ちょいマイナスっぽいこともある。マジで、実名で色んな人を糾弾しちゃったりするような内容を、かなりバンバン書く人なんだよね、柳美里という作家は。でもこれは、時代が巡れば、貴重な、その時代の記録となってもいくのかもしれないけど。いやそれ以前に、やっぱし、もろにこの現代、今この瞬間に、今この時についての生の声を発するということこそが重要なのかな。しかもさ、落ち着いてどっしり、円熟した技術として、そういう時代の切り口の生の姿もあえて包み隠さず表現する、っていうのからは程遠いんよ。カリカリして、時間もなく、お金にも苦しんで、愛憎の渦の中、ケンカばっかり繰り返し、そんな中、絞り出すように文章が紡ぎ出され、その中に、避けがたく、もろに人の悪口が、混じり込んできちゃってる。でも、でも。そういう人生の苦労と真剣に向き合い、対峙して、そういう苦労を文章にして世に送り出し、その稼ぎで生活してる、この作家には、本当に、こうするしかないのであり、必然性を俺は感じるんだよね。しかし、悪口を言われる当事者の立場にもし俺がなっちゃったら、場合によってはこの人と喧嘩するしかないこともあるだろう。柳美里は、そのように良くも悪くも非常に存在感のある作家だと思う。

ここまで追い詰められた状況で、それでも、つじつまのあった、物語として成立しているまとまった文章になってるのは、編集者も相当頑張ってるよ、これ、多分。『魂』の内容からも明らかだけど、編集者の公私ともに渡るサポートは本当に頭が下がる。

お母さんのFAX、ってのが、『命』でも『魂』でも時々出てくるが、『魂』の中のそのようなFAXの一節に、「あなたの感情の激しさに誰もついてこれない、困る」みたいなことが書いてあったが、本当、正論でそのとおりだと思った。結局見捨てずについててくれて、わかめスープと牛テールスープを作ってくれる。柳美里東由多加が色んな人から愛されてることを繰り返し書くが、俺から見れば柳美里本人だって色んな人から愛されている。俺も、チャンスがあったらそのミヨックとコムタンスープっていうの、飲んでみたい。