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『モーパッサン短編集I』(新潮文庫)読書感想

モーパッサンという名前を全く知らないわけではなかったが、生まれて初めてまともに、この人の小説を読んだ。その感想を書く。

フランス人の、短編小説で有名な人っすね。新潮文庫版の、短編集がIからIIIまで全3冊ってのが、図書館で発見したんで、借りて。で、Iを、今さっき読み終わりました。

短編ばっかり24本も、このIの中に収録されてました。どれも猛烈に面白い!…というわけでもなかったです。何しろ古い本で、モーパッサン1850年生まれで、1893年に亡くなってますから。130年以上前に書かれた小説なわけです。古典は、時に、読んでて退屈になることもありますよね。最新作、同時代作のように、時代の要求を一通り満たしてくれていることを期待するのは間違いなわけです。この本の通読も、途中、つまんなくて苦労するタイミングもありました。が、とりあえずIだけだけど、読み切って、うん、なかなかこれは面白かったぞ、と、今は思えます。

短編一本一本だけをバラバラに読むと、ストーリーが単純過ぎたり、そもそもこれってストーリーになってんの?小説って、そこから教訓が汲めたりとか、ハラハラドキドキしたりとか、知識が増えたりとか、そういうのがないと意味ないじゃん?って、思うようなやつも多数あった。けど、モーパッサンの小説の価値ってのは、そういうミクロな視点じゃなく、多数の作品をバンバン読む中で、感じ取れるものなんだと思う。ってのは、かなり、バラエティに富んでるんですね。内容が多岐にわたってる。最後は自殺したりとか、やれ妊娠したとか、そういうのばっかなようで、実はそうでもない。根本的に違う内容、風景、感情が、色々な作品の中で、色々に表現されている。だから、ある程度、数を読むと、全体的に、フランスのこのときの生活模様ってのがマジ具体的に身近に感じられるし、時代や地域を超えて相通ずる、人生ってこういうものさ、っていうモーパッサンのメッセージが心に迫ってきて、魂が揺さぶられてくる。

一番面白かったのは、前から3番目の「田舎娘のはなし」かな。ネタバレになっちゃうんで、一行飛ばしますね。

 

で、「田舎娘のはなし」ね。まあこれに限らずだが、フランスの階級社会ってのが、ガチガチのものではなく、フレキシブルに身分の上下が、偶然や本人の努力次第で逆転し得るってのが、なるほどなー、って、思った。あと、ラストの終わり方が良いね、やっぱ。ジャックとの子が主人に受け入れられる。だからこれ、やっぱし、他の作品もたくさん読まないと、この「田舎娘のはなし」の良さがわからないとこなんだけど、モーパッサンは、何も、世の中を啓蒙しようと思ってこういうストーリーを書いたわけじゃないじゃん。明らかだよねそれ、だって、他の作品ではやれ自殺だのなんだのと悲惨な終わり方がたくさんあるから。そういうふうに全く完全に自由に動かしたペン先で、モーパッサンは田舎娘の婚前子が受け入れられるっていう物語を紡ぎ出した。それって尊いことだよ。実際そういうことってあるんだろうなって思う。

ちょっとした読書会でのちょうどいい読み物を探してて、モーパッサンに手を出してるんだけど、で、時間的に、この「田舎娘のはなし」は長すぎる。だから、読書会に「田舎娘のはなし」は持っていけないなあ。うーんどうするかな、Iの中じゃ、世の中の評判通り、「ジュール叔父」はまあ面白かったは面白かった。ま、あと2冊残ってるんで。IIとIIIを一生懸命読んで、それからネタを決めるとしますかね。やれ、急げ、急げ。