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『モーパッサン短編集II』(新潮文庫)読書感想

モーパッサンの短編集の第2巻を、読み終わった。その感想を書く。いや、「シモンのとうちゃん」は、良かったねえ。

一つ前のブログ記事で論じたことの繰り返しになってしまうが、俺は、モーパッサンを楽しむにはたくさん彼の短編を読んでく必要があると思ってる。あ、これは、同時並行して手を出してる岩波文庫の『モーパッサン短編選』の解説からの情報だが、モーパッサンのたくさんの短編っていうのは、たいてい、フランスの日刊紙の新聞の一面とかに掲載されてたそうで。一回ごとに読み切りの、一回一回ごとにそれだけで楽しめる小説。そういうのの、かなり初期の段階で、活躍したのが、このモーパッサンだったんじゃないかな。モーパッサンが試したことを、後進の作家たちが、学んで、真似するところは真似する。ポップミュージックにおけるビートルズのような存在だったんじゃない?短編小説という分野におけるモーパッサンの位置づけってのはさ。いや、文学史にも音楽史にも、あんまり詳しくないけど。

あとは、思ったのは、一回きりの読み切りっていう体裁は取りつつも、ゆるやかに連作小説のようでもある…とも、感じた。全体として、一つの小説のようだ。オチがそもそもなかったり、読み終わったあと嫌な気分にさせたり、マジで勝手気ままに書かれてる文章で、この人、読者が怖くねえのか?って感じ。だからやっぱし、この人の書く短編小説は、それ一つだけで独立して芸術性を兼ね備えて独自の動き方をしていく、だから例えば星新一ショートショートのようなものではないのであって。ああ、だから、やっぱり、読者を惹きつけようとして、そういう風になってったか。つまり、たまたまその日の新聞を買っただけの一見さんは相手にしてないんだ。毎日読む固定読者層にとって一番面白い文章を、ひねり出してんだ。そうだ、そうだよきっと。毎回感動物語ばっかじゃ飽きちゃうんだ。つまんねえ話、悲惨な話、そういうのの中に、時々、キラリと光る感動物語も入れる。その配分は、実人生と同じ割合にしないと、胃もたれしちゃうんだ。…かと言って、現代に生きる俺らがそのようにして書かれた短編を一気に読もうとすると、それこそ実人生を生きるのと同じように、退屈モードの文章にもかなり付き合わなくちゃいけなくて、ちょっち大変なんだ。

ところが、である。とにかく読み通すべく一所懸命読んでたら、全く油断しながら読んでて、「シモンのとうちゃん」にぶち当たった。喫茶店の中で、不覚にも泣きそうになってしまった。ネタバレ、というか、実際にこれを読んだ人向けの文章を以下に書いていきたいんで、一旦改行しますね。

 

この、新潮文庫版『モーパッサン短編集II』中12番めに掲載されている「シモンのとうちゃん」は、簡素な文体で、ありふれたシチュエーションながら強烈ないじめシーンが描写され、シモンの幼い自殺未遂、そして熱望した「とうちゃん」の実現がとつとつと語られる。それ以外のことは全く書かれてない。シモンは、どんなにうれしかっただろうか。いじめられなくなったことが一番うれしいんじゃないだろう。とうちゃんを手に入れたことが一番うれしいんだ。七、八歳でしょ?マジでピュアだからな、この年頃。それこそ熱い鉄のようなものだよ、シモンの人格の状態は。フィリップは鍛冶屋だが、仕事で鉄を打つように、彼はシモンの人格も形成したと言えるだろう。いろんな小説が巷にはあるけどさ、このときのシモン以上に喜んだシーンって、存在し得るか疑問だ。

ああ、あと、モーパッサンの他の短編とかって、短いし、あんまし深読みできる余地が、今んとこ俺には感じられないんだけど、この「シモンのとうちゃん」において、一つ気づいたことがある。シモンがフィリップを訪ねて鍛冶場に入ってきたシーンだ。そっと入ってきていきなりフィリップに声をかけたシモン。あのさ、鉄鋼ってのは、叩き続けて温度を高く保っておく必要があるんじゃない?なのに、シモンの話を聞くために仕事の手を止めたフィリップ。さらに、その他の、鍛冶場の全員が、迷わず仕事の手を止めた。そして、一緒に話を聞き、ブランショットとの結婚をフィリップに勧めた。

鍛冶場の大人たちも、子供の頃は、シモンをいじめたいじめっ子たちのように、自由気ままに、残酷にも、生きてきたと思うんよ。でも、大人になるにつれ、分別を知り、社会の中に生き、優しさを学び取って、人間としても大きくなっていった。そんなことはこの小説のどこにも書いてないけど、俺、そう思う。学校のいじめっ子グループと鍛冶場の同僚グループとの間に差はない。同じ存在が時系列でちょっとずれてるだけだ。だから…、モーパッサンもそのことを自覚していたかどうかはわからないけど、この小説を読み込むと、モーパッサンの、社会に対する深い信頼と愛情を感じる。真の自由の中でこそ、人間というやつは、本当に大切なことを学び得るし、実際、そういうふうに成長したまともな大人も確かにこの世の中には居るんだ!っていうメッセージが、モーパッサンの小説にしては実に珍しく、高らかに謳い上げられている。