説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

『デイヴィッド・コパフィールド』第9〜20章まで読んでの感想

まず、前回の第8章までの感想文に書きそびれたことから、書こう。母親との関係の描写が非常に丹念だと思った。母として、子供であるデイヴィッドにかけてくれる愛情とともに、女としての人間の本性もすっかり書いてしまってくれている。お母さんの、そういう、人間としての本性に翻弄されながらも、懸命に生きていく後ろ姿も、正面から抱きしめてキスしてくれたりというのと同じくらい、デイヴィッドに良い影響を与えてる気がする。

あとは、自信のなさから人につけ込まれ損をしたり惨めな思いをする場面の描き方が、ちょっと他の作家の本では俺は体験したことがないくらい、悔しさ、惨めさが読者である俺の心に迫る。旅路での食事シーンがこれほどまでに侮辱に満ちみちている本、ないと思うね。

それと、大叔母さんに助けを求め、活路を見出すという大きなストーリーに、個人的に影響を受けている。ペゴティーの弟さんの生き様にはさらに大きく影響された。甥、姪を引き取って養子にして育てるという行為を、本当に息を吸うように自然にやってのける。彼らがまぶしいよ。それに引き換え俺はなんてオドオドしてたんだ、と、反省した。いざというときには、例えば交通事故で他の肉親が死んじゃったりしたら、甥、姪は、俺が養育に責任を持つことになる。流れから言って、そうなる。だから、だからなおのこと、向いてる仕事の仕事力を磨くことが今は大事。稼ぐ力をまずは身につけるんだ。自分のためだけじゃなく、親類のためにも。

だから、今、英語をやってる。さあ、もうひとがんばり、一章でも多く読み進めよう。ただの遊びじゃねえ。