説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

入試直前で、ドタバタしてます。あくまで理学としてバイオに取り組みたい俺

バイオ分野学士課程の社会人入試本番まであと一週間もない中、諸々準備を整えてる最中です。
 
空き時間を利用して、「京都大学生物科学の会」っていうウェブサイトがオススメしてる一般書を数冊読んでみて、自分の求めている生物学の学びがどんなものなのかが、だんだん客観的にわかってきました。
 
俺は、農学でも医学でもなく、あくまでも「理学」としての生物学を学びたいんです。
 
そもそもバイオに取り組むための方法論として、デカルト的、ガリレオ的な発想に賛同し、それを実践したいんです。
 
本当に確実な原理を突き詰めて考え、明らかにして、それを土台にしたい。また、複雑な状況を、色んな角度から眺め回し、切り口を工夫して、できるだけ単純化できる切り口から自然現象を観察し、そこに、原理を当てはめて考え、きっちりした論理展開により、次なる自然現象を予測。そして、実験により、その予測の正誤を確かめ、その原理原則の妥当性を検証していく。
 
そのような発想で頭がいっぱいの俺にとって、農学は、いきなり現象ありき過ぎるように感じます。切り口が複雑過ぎる。今読んでる本(『人の健康は腸内細菌で決まる!』)も、農学の先生の本なんですが、腸内細菌の観察とか培養とかから入るんです。夏の実験の授業でわかったんですが、俺、メチャ不器用で、要領の良さ、手際の良さとかが必要な実験が、自信ない…。背に腹は代えられないから、これからももっとがんばりますが、少なくともこういうのは俺の強みではない。じゃあ俺の強みは何かと言ったら、厳密な論理展開を求めるモチベーションの高さです。こういう特性が、農学と相性があんまり良くない。相性がいいのは理学でしょ。
 
その他にも数冊読みましたが、今んとこ、一番心の琴線に触れたのはシュレーディンガーの『生命とは何か』です。既にこのブログで一本感想文の記事を投稿しました。シュレーディンガーは物理畑からバイオに乗り込んできたが、自分はバイオ畑から物理を欲している、そこが違う、などと書きました。が、これ、そんなに大きな違いじゃないなと思います。農学や医学の発想などとの違いと比べたら。
 
量子力学で生命の謎を解く』という本が、前述の京大の推薦本リストにあって、図書館で貸出中だったので、昨日アマゾンでポチりました。明日、届きます。自分に合った本なら、たとえ面接前までに読みきれなくても、買って本棚に置くだけで一歩前進です。
 
そうそう、有名な『利己的な遺伝子』も、読みましたが、長大な本で、何しろ時間がかかりましたね。ダーウィンの『種の起源』と似たものを感じました。議論の進め方が、慎重で、イギリス的で。つい最近『種の起源』を読んだんで、俺、今の気分としては、イギリス的な本じゃなくてアメリカ的な本を読みたいんです。ライナス・ポーリングというアメリカ人は、ビタミンCが風邪とか老化の特効薬だとか騒いで各方面に大迷惑、とか、色々悪評もある人だけど、平和とかに関しての積極的な活動で二個目のノーベル賞取ったりしてるじゃないですか。そういう、新しいことに果敢に取り組んでいく姿勢というのは、やっぱしアメリカが一番なんじゃないかな。俺は今、アメリカの科学者の発想に触れたい。
 
入試の英語試験対策に『Essential細胞生物学』の各章末のバイオ英単語を拾い読みしようと、図書館にこの本を持ち込んであります。この作業をしながら、明日新しい本が届くのを待つとしますかね。あと、面接の想定問答集もしばらく前に書いたのがあるんで、それを推敲したり暗唱したりとかって作業も、やんないと。やれ、忙しい、忙しい。なんとかベストを尽くします。