説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

雑記。いわゆる「ダブルスタンダード」について話が及びました

社会人入試の英語試験対策に、Essential細胞生物学っていう教科書の巻末の用語集を、赤ペンを引きながらバイオ英単語を拾い読みする作業が、先ほどおわりました。
 
入試は9月10日。
 
キャンベル生物学っていう分厚い教科書も持ってて、この夏学期に一回通読しました。これの巻末の用語集も、赤ペン引きながら英単語を拾い読みして、また、学んだ内容をざっと振り返ろう。と、思ってるのですが、ちょっと疲れたんで、気晴らしにブログを書きに来たところです。
 
一回前のブログで、イギリスじゃなくアメリカの本を読みたい、などと書きました。しかしですね、普段から使ってた、Essential細胞生物学やキャンベル生物学が、もろ、アメリカの本だったんですよ。だから、もう充分読んでたことになる。
 
思い返せば、遺伝子組み換えに関する記述なども、遺伝子組み換えに肯定的で、いかにもアメリカ的でしたね。Essentialもキャンベルも。キャンベルの方は、ちょい慎重な書き方だったかな。
 
いわゆる「ダブルスタンダード」っていう言葉があるじゃないですか。アメリカとイギリスが、それぞれ独自に、基準を定めてて、その2つの基準が、都合よく、いろんな局面で使い分けられて、結局アメリカとイギリスだけが得をするような流れができてしまっている…という意味かなと俺は解釈してるんですが、違いますかね。
 
確かにそういう風に見えてしまうようなシチュエーションも少なくないのかもしれません。
 
でも、アメリカとイギリスだけがズルをしようとしてそのような悪だくみをしているのではないと思う。
 
俺、健康を害しちゃって帰国してきましたが、一応9ヶ月くらいイギリスに居たんで、イギリスからの視点で話しますが、今、英語のラジオを聴きまわってて、ホント正直、一番共感するのはBBCです。アメリカの民間放送、色々聴いてみて、なんでこんなにふざけてるんだろうって思っちゃうんですよね。深刻なニュースを伝えるときの言葉選びが、軽いんです。マイアミでマンションが崩落したとか、ハリケーンアイダで人が死んだとか、本当に悲惨なニュースがあり、悲しいです。しかし、日本人の感覚、イギリスに居たことのある日本人の俺の感覚での感じだと、アメリカ人は、そういう深刻な状況で、そういうときこそリラックスして臨むことこそがベストだ、と考えてるように思えてならない。でも、俺の目には、それは、軽すぎる、ひいては、ちょっと失礼なんじゃないか、と、映ってしまうんです。ところが、同じ英語ニュースでも、BBCにはそういう軽さは全く感じない。
 
俺が(イギリスではなく)アメリカに留学経験があった場合、もしかしたら逆のことが起こってた可能性があると思うね。「深刻なときこそリラックス」という思想が俺の心の奥深くまで浸透してて、アメリカのラジオしか聞けなくなってたかもしれない。
 
俺が9ヶ月だけでイギリスに染まっちゃったんだから、本物のアメリカ人と本物のイギリス人の関係たるや、推して知るべしです。
 
一応毎晩、BBCとボイスオブアメリカのラジオ聴いてますが、まあ、違いますね、そして、お互い意識し合ってる。アメリカ人にとって外国とはまず真っ先にイギリスのことであり、逆もしかりです。お互いの国の出来事がしばしばトップニュースになる。
 
アメリカとイギリスは、お互いいがみ合いながらも意識し合ってて、確かにお互い異なるメンタリティを土台に、あるべきルールを模索し続け、説得力のある仕組みを生み出し続けている。
 
以上が、ダブルスタンダードと揶揄されるナニモノかについての俺の分析です。
 
その上で、じゃあいち日本人として俺はどのようにこのような世界に関わっていくべきか。
 
ちょっと今夜は、この問いに答えるのはまだ時期尚早のようです。その前に、俺、入試に通らないと。キャンベルの用語集に取りかかります。