説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

中学の歴史の検定教科書を読んだ感想

4ヶ月前に働き出した学習塾にて、仕事の幅を広げるため、俺自身はバイオ分野の理系崩れだが、社会科の勉強もしてみてる。

その一発目として、歴史の教科書に取り組んでて、たった今、読み終わったところ。同時並行して解き進めた教科書準拠の問題集も、やり終わった。

中学の社会科は、中1,中2,中3のようには分かれておらず、歴史、地理、公民という3つの科目名で3冊教科書が出ている。俺が今回読んだり解いたりしたのは、帝国書院っていう出版社の『社会科 中学生の歴史』ってやつ、あと、この帝国書院の歴史教科書に完全準拠した問題集、『教科書ぴったりトレーニング』(新興出版社)ってやつ。

いやあ、面白かった。一番印象に残ったのは加賀の一向一揆かな。100年自治が続いたって、それ一行の説明文で終わらせるとこじゃないでしょ、って思ったけどどうかな。このまま一向一揆が日本全国に広がってたら、ヨーロッパより数百年早く、少なくとも政治的には近代の国家ができてたんじゃなかろうか。

あと、月並みな感想かもしれないけど、古くは聖徳太子が、和を以て貴しとなす、とか言い始めてるし、日本の平和主義ってのは、なにも太平洋戦争後にアメリカに押し付けられただけのものではなくって、メチャ歴史のある、この国の大切な考え方なんだと思った。京都とか、源平合戦ではどんくらい民衆に被害あったのかな?応仁の乱では完全に焼け野原でしょ。西郷隆盛西南戦争の戦場にもなったんじゃないか。各寺院とか神社とかに集う人たちの間で、戦争を回避するにはどうするべきか、みたいな考えの深まりは東京なんかとは比べ物にならないくらい蓄積がある土地柄なんじゃないかと思うね。

もし俺が中高生の時に生物学でなく文系に目覚めてたとしたら、うん、俺は経済学に特に興味持ったと思うね。結局、平清盛の力の源泉だって、日宋貿易でしょ?それが両方とも相手が変わって足利義満日明貿易に変わったけど、要は、時代時代で、キーになる貿易を押さえるっていうゲーム、っていう側面があるよね、天下取りっていうのが。もちろんでもそこには、まずそもそもこの日本っていう土地柄が、うーん日本人的うぬぼれなのかな、各地域に優れた文化や特産物があってさ、だから貿易っていう国際的な舞台で、こちら側に魅力的な商品が揃ってて、相手国に喜ばれる、っていうポテンシャルの高さがあるじゃん。そうだな、だから、ともすると、たった今読み終わったこの教科書もそうだけど、ちょっと、支配者の変遷を追っかけてばっかりで、支配することじゃなく独自の文化とか特産物を作ることに一生懸命だった人たちにもうちょい強めにスポットライトを当ててもいいよね。それはそうかもしんない。

で、それが、グローバリゼーションとともに、キーになる国際的な商取引の様態がガチャガチャに変化し続けてる。この変化し続ける経済的環境を、しっかり把握して、なんならあるべき次世代のそういう経済的環境を提案したり海外や国内で話し合いを進めていったりとか、そういう人材こそが社会に必要でしょ。歴史の教科書を読んで、はっきりとそのようなニーズを感じたよ。

太平洋戦争に関しては、あまりにも生々しくて、軽々しく書けない。ので、このブログ記事は、とりあえずここで筆を置く。