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大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

『CROWN English Communication I』(高校の英語の検定教科書、教科書番号「CI 707」)読書感想

三省堂のクラウンって高校英語の教科書を、読み終わったので、その感想を書く。

この前、旧課程、つまり、文科省の学習指導要領が、数年前に変わってて、その変わる前っていう意味で旧課程の、同じシリーズのクラウンを、読んだのだった。で、その感想を以前のブログにアップした。

読んだのは、クラウンのシリーズの中でも、「イングリッシュコミュニケーション1」ってやつ。これを書いてる令和5年現在の文科省の新課程で存在する同名の科目に対応した教科書。要は、読解がメインの科目で。「ロジックアンドエクスプレッション」だっけかな、そういう別の科目じゃ、英語による発信が主となる。そうじゃなく、こっちのコミュの方じゃ、まあ、長文を読みこなしましょうっていうアクティビティを頑張ろうねという趣旨なので、この教科書も、長ーい英文がたくさん載ってた。

あんまり褒めてばっかりでも、このブログの読者の皆さんは退屈だろうし、この教科書を読んでみて、困ったこと、マイナスなことを中心に書いていこうかな。旧課程の同じシリーズの本のレビューブログでは、褒めてばっかりだった記憶が。

えーとね、まず、問いに対する解答例が入手できないのは困るわな。「教科書ガイド」も入手して読んでみたのだが、途中で投げ捨てちゃった。問いに対する解答例も載ってないし、俺の役には立たなかったから。数学の検定教科書では、教科書ガイドは本当に素晴らしかったがね、英語では事情が全く違った。

が、まあ、解答例が入手できないことに関しては、そこまで困ってもいない。ってのは、ChatGPTを使えばいいじゃん?って思ってるから。ChatGPTに、自作回答例をぶち込んで、内容面、文法面での添削をお願いすれば、まともな答えが返ってくるんじゃないかな?まだやってないけど、できそうなんでね。

あと、解答例を自作して、このブログとかで発表するっていうのも一手だと思う。読者を意識しながら解答例を推敲すれば、それは自分にとっても良い勉強になる。

ってことで、教科書の問いに解答例がないっていう難点は、そこまで根本的に俺を害してはいない。

そうだな、他に、この教科書の悪口は、と。うーん、もう思いつかないや。んじゃ、もう一点ほど、感想を書いて、それでこのブログ記事を締めくくる。

英語圏の人達の関心事項が、ぼんやりとだが、わかる。それが、面白かった。ちょっと説明させて、俺は何を言ってるかっていうと、つまり、英文法がどうたらとかいう話とは別次元で、この教科書に載ってる英文の内容が、アメリカ・イギリス的というか。アメリカ人やイギリス人などの英語文化圏の人たちが普段関心を持ってる事柄が、選ばれて、教科書にまで載ってるわけよ。その内容の取捨選択の仕方が、日本の発想とは違って、それが面白い。Lesson3のみやざきけんすけさんについての回など、絵と英文のコラボレーションの仕方が、目を見張る。ほら、日本語って、漢字が混じるじゃないですか。で、漢字が、ちっちゃな絵みたいなもんだから、で、それの延長で、絵にもスムーズになじんでいける。ところが、英語というのは全てがアルファベット26文字で表されるから。だから、文章と絵というのが、全く別物のように、日本人の感覚では、感じちゃう。けど、それは最初の入口だけで。もっとこう、なんていうかな、英文ってのは、音を指定する楽譜みたいなもので、そのメロディに乗せて、写真やイラストも自然に途中途中に配置されていく。Lesson10のスヌーピーの漫画でも、キャラクターたちはかなり長いセリフをしゃべる。日本語文化圏の、かな→漢字→イラスト→写真、っていうゆるい勾配のチャンネル切り替えとは、かなり異なる。文章と、写真。または、文章と、絵。が、完全に別物として使いこなされている。良いとか悪いとかじゃなく、そこは、日本語世界と英語世界とで、異なるポイントである。その違いが、世界一般を見渡す際の眼差しの違いにもつながっていく。本当に英語ペラペラになりたければ、その日英両方の眼差しを自分のものにしなければならない。

と、まあ、こんなところで。