説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集II』読書感想

新潮文庫の、『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集II』を読了した。その感想を書く。

まず、一番面白かった短編の感想を、書いちゃおうかな。冒頭に掲載の「婚礼の前」が、俺には一番だった、この本の中では。ロシア文学的な見事な長ゼリフが楽しめる。ポドザトゥイルキナがひと言も発しないのがなお良し。回りからのワーワーに圧倒されてる感がよく現れてる。

で、だんだん、短編個別の話から、一般論に、話題を広げていきたいんだけどね。短編の末尾に、発表年月日、検閲年月日が書いてある。で、この「婚礼の前」は、逆算すると、チェーホフが27歳の時の作なの。だから、だから、期待したし、その期待に「婚礼の前」は応えてくれた。

Iの方から読み進めてて、短編の出来、煮詰め方が、めちゃくちゃばらつきがあるのに気づいてて、で、完成度と発表年月日とを俺は関連付け始めてきたんよ。1880年と1887年の作は明らかに違う。二十歳と27歳ってことだから。Iの感想文ブログで紹介した「ポーリニカ」も、このII冒頭の「婚礼の前」も、27歳の時の作っすね。一般的にはまだまだ27歳って若いけど、でも、チェーホフの筆は円熟味を感じる、二十歳のときの作と比べると。

徐々に力をつけてきた、とかじゃなく、なんか、とんでもないジャンプを、二十歳と27歳の間の期間に、したんじゃないかと俺は疑う。短編制作上のモラルやポリシーに関する大きな変化があったんじゃないかな。

 

…この本単体については、そんくらいかな。短いけど。で、このユモレスカシリーズについても、ちょっと言いたいことがある。ので、改行した。なんかさ、このチェーホフ・ユモレスカってのは、新潮社の単行本で、I、II、IIIと出版されてて。もともと。で、そのIとIIが、文庫版になった、ところが、IIIが新潮文庫にはならなかった。ネットをウロウロ探し回って突き止めたところ、IIIは、なんと新潮文庫ではなく中公文庫になって、その名も『新チェーホフ・ユモレスカ』と変わってるのだ。この『新〜』は、I、IIとあり、このIの方が、新潮社の単行本のIIIを底本として出来上がっており、じゃあ中公文庫のIIはなんなのかっていうと、全く新しく作った本のようだ。

で、図書館でチェーホフのコーナーに、俺の自治体の図書館では、中公文庫のユモレスカは置いてなくって。仕方なくアマゾンをのぞいたところ、新品ではもう売ってない感じ。やむを得ず、値段がちょっと高止まりしてる古本で、中公文庫のI、IIをポチッた。既に手元に届いてる。

なぜ、こんなことに?一番わかりやすくてありがたかったシナリオとしては、新潮社さんが全部一手に、ユモレスカI、II、III、IVなどとして新潮文庫から出版してほしかった。売れ行きが悪かったのかな…などとぐるぐる考えるが、真相は闇の中である。なんか、物の本で読んだんだけど、広告業界?では「トロの法則」ってのがあるそうで、マグロのすばらしさを伝えるには、トロを一切れ切り出して相手に差し出す。そのような能力こそが大事、ということだそうだ。で、このユモレスカシリーズだが、新潮文庫のユモレスカIで、冒頭からガンガン1887年発表作を並べりゃ、IIIは新潮文庫版じゃお断り、なんてことにはならなかったんじゃないかな。違いますか…?なんか、学者学者してるんだよね、学術的にチェーホフを読み解くための短編読書を強いられてる気がして、でもさ、新潮文庫だぜ?純粋に読書を楽しみたい人向けに廉価に手軽に手のひらサイズの本を届けるっていうのが新潮文庫の使命じゃん。二十歳の頃の雑文とかをバンバンぶち込んでさ、読むのが苦痛なんよ。新潮社さんが、こりゃあ商売にならん、っつって、打ち切ったんだったら、俺はそれは理解する。仕方がなかっただろう。

でも、参るんだよね、図書館で中公文庫版を無視されてるってのも。チェーホフの面白い短編は本当に面白いから。どうも、世の中が、文庫本に過度な期待をかけすぎなのかもね。もう。気軽に面白い本をどんどん出版してほしい、また同時に、歴史的にも貴重な傑作も網羅してね、って、その2つ、両立しないでしょ。一般ピーポーの俺らが意識が甘いんだろうな。

何しろ、図書館関係者の方が、もし俺なんかのこのブログ見てくださってたら、お願いします。チェーホフ・ユモレスカは、新潮文庫版だけでなく、中公文庫版I、IIもどうぞ揃えてくださいませ。