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『郊外の一日 新チェーホフ・ユモレスカ1』読書感想

中公文庫の『郊外の一日 新チェーホフ・ユモレスカ1』を読み終わった。その感想を書く。

チェーホフは、戯曲作家としても有名なようだが、短編小説としても有名らしい。そこで、ちょい図書館とかネットで探したら、ユーモア短編的な、ロシア語で「ユモレスカ」というジャンルの短編ばかりを集めた短編集が見つかり、新潮文庫で2冊、中公文庫でも2冊、あった。そこで、新潮文庫のから読み進め、今、計3冊目の、この中公文庫の1冊目を読み終わったところ。

どうも、超面白かった!という短編は、通して読んでみて、とうとう1本もなかったかな。「観念論者の思い出から」は、最後のどんでん返しに至るまでの精緻な書き込みが見事だと思う。が、同じくらいうまく書く人は現代にもたくさんいるんじゃないか。言文一致を日本で初めて開始したのは二葉亭四迷だったそうだが、じゃあ彼の作品は文学的にも名作か、読みつがれているかっていうと、そうでもないじゃないですか。チェーホフはパイオニアだとは思うけど、その作品すべてが文学的に面白いかどうかっていうとそれはまた別問題じゃん。同様にさ。

あと、気になった短編としては、「父親」。惨めな境遇の父親がこれでもかっていうくらい具体的に描写されてる。これとか、どこがユーモア短編なんだ。悲しすぎるよ。

もう1本、「善意の人びと」は、扱ってるテーマが、短編小説にも関わらず、深遠だと感じた。ただちょっと説明不足かな、もうちょい具体的にはっきり考えの表明が欲しかった。

ところどころ、パイオニアとしてのきらめきは感じるんだけど、娯楽を求めてひもとく本としての役割は、終わっているんじゃないだろうか。ああ、新潮文庫版「I」末尾の「ポーリニカ」のような短編がもっとあったら、こんなひどい悪口は書かなかったろうし、書きたくない。「ポーリニカ」レベルの作品をずっとずっと追い求めて読み続けてるんだけど、いつまでたってもそういうのがない。中公文庫版「2」には、あるのだろうか。苦しい読書の旅だ。