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『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集I』読書感想

松下裕の翻訳による、新潮文庫の『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集I』を、読了した。その感想を書く。

なんで俺が今これを読んだかと言うと、ある読書会に所属してて、そこでみんなで読むのにちょうどいい短編を探して、で、チェーホフの短編集に手が出たのである。ただ、きっかけはそうだとしても、読み進めていくうち、当初の事情を超え、ロシア文学をだんだん楽しみ始めてきた俺。

つっても、全部が全部強烈に面白い!…というわけでもないのは、このまえ読んだモーパッサン短編集と同様。新聞や雑誌に、短い文章をバンバン載せて、日銭を稼ぐ、っていうののごく初期に登場したのがチェーホフモーパッサンなんじゃないか。それまでと何が違うって、不特定多数の読者が一気に同じ新聞やら雑誌やらを読む、ってのが、やっぱし産業革命以後じゃないとそういう現代的なマスメディアってのが存在しなかったんだと思うよ。だから、本物の「時代の寵児」の先駆けはずばりチェーホフモーパッサンだった、と、ある意味、言えるんじゃないかね。

で、チェーホフは、上記のような意味において、先人がいなかった分野を開拓したパイオニアなので、短編小説をいかに書くかを手探りで色々実験しながらジリジリと前進していった。その軌跡を、たどれるようになってるのが、このユモレスカIだと思うんだよね。解説とかも読み合わせて判断するに、このIに収録されてるのはチェーホフの初期の作品なのかなと。荒削りなだけに、面白くないところは、遠慮なくマジで面白くない。が、学問的にっていうかね、過去の文献資料として、当時のモスクワの雰囲気が感じられたりとか、短編小説に現代人が求める要素がそもそも誕生した瞬間っぽい箇所に遭遇したりとか、そういう面白さはあると思う。

さて、以下、もっと各論的な細かいことも書いていこうかな。いや、戯曲っぽいなあと。俺、あんまり戯曲を読んだりする趣味は残念ながらないんだけど。気になってはいたんだよね、俺、ちっちゃい頃から井上ひさしが好きで、あの人、芝居もたくさん書く人じゃないですか。三島由紀夫とかも、「鹿鳴館」だっけか?有名だし。で、チェーホフだが、解説とか松下裕の文章とかを読むと、なんか有名な文学者の人に注意されてから、短編を書き飛ばし続けるスタイルから脱皮して、長編とか、戯曲とかを書き始めたってなってるけど、でも、高校生のときにもなんか長い戯曲は書いたんよね?で、このユモレスカIに収録されてる、おそらく初期の短編の中にも、芝居を意識したような文章の書き方がたっくさんある。そういう指向性を持った人なんだよ。それこそ井上ひさしなんか、チェーホフにもろ影響受けてんじゃないかなあ。根本的に根アカなところとか、似てるっていうか共通する要素の存在を感じる。

ああ、あと、時代が時代で、検閲がすごかったんだろうなあと思う。検閲がなきゃ、もっととんでもなく面白かったんだと思うよ、つまりちょうどあれよ、ハリウッドザコシショウYou Tube動画もガンガンBanされまくって、それでも今のも面白いけどさ、俺が知ってる限りでは例えば高須クリニックCMのパロディとか、立ってらんないくらい面白かったからね。あれが差別的表現ってことで規制食らって、で、おんなじようなことがチェーホフの短編でも山ほどあったことは想像に難くない。チェーホフが人の悪口とか政府の批判とか解禁されてたらとんでもないことになってたはず。

あとは、と。お気に入りの短編の個別的な話をちょいちょいさせてもらって、このブログを締めくくるとしますかね。まず一番面白かったのは、てか、現代社会においても、そのままで、面白いと思える、文学的競争力を保持しているであろう短編は、俺は「ポーリニカ」を推す。あー、ちょっとネタバレになっちゃうかな、もう読んだ人を対象に文章を進めていきたいから、念のために一行改行します。

 

で、「ポーリニカ」ね。簡潔な文体。この短編は、ストーリーは劇にしても面白かろうが、他の短編とかで散見されるような戯曲のような文体は一切混じらない。小説として、隙のない文章、チェーホフらしい簡潔な文章が徹頭徹尾貫かれてる。場面の切り取り方が良い。店でのやり取りに合わせての痴話喧嘩。その内容が読者に一切筒抜けになる。大学生→医者・弁護士、という世界と無学な町人の世界のクリアな対比。そして、大学生たちの世界の住人は、セリフすら一切なし。主役は無学とされている人々なのである。なのに、商品知識は豊富で、「無学」というレッテルは、全くの嘘なのであることが暗示的に断言されている。他の短編では、そこまできちんとしてないゆるい文章も見受けられるが、この短編においては、ポーリニカがその後大学生を選ぶのかチモフェーイチを選ぶのかについて一切ヒントがない。そこは言わぬが花なのである。このポーリニカとチモフェーイチの痴話喧嘩をこそ描きたいというチェーホフは、偉かった。自由に一般教養などを学び散らす大学生と、色んな人に色々に役立つ商品知識を一生懸命学び続けるチモフェーイチとじゃ、本当マジ月とスッポンだよ。比べることすら失礼。

と、他にも気になった作品はあるんだけど、まあ今回のブログ記事では、以上でポーリニカについて語ってしまったので、これくらいにしておきます。さあ、IIも読まなくちゃ。