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『結婚披露宴 新チェーホフ・ユモレスカ2』読書感想

中公文庫の、『結婚披露宴 新チェーホフ・ユモレスカ2』という本を、読了した。その感想を書く。また、これにて計4冊の「ユモレスカ」を読み終わったことになるので、その総まとめ的な内容も、書けたら書く。

チェーホフって名前は、皆さん、どこかしらで一度は聞いたことあるんじゃないですか。俺もそのくらいの認識しかなかった。ちょっと事情で、短編小説をたくさん読む必要があって、で、短編小説で有名な人を調べてたら、モーパッサンチェーホフの名前が浮上した。ので、しばらくモーパッサンの短編集を読んでて、それ読み終わったんでじゃあチェーホフの短編集を、と、この「ユモレスカ」シリーズに着手。が、ちょうど今さっき、終わったのだった。

ユモレスカってのは、ロシア語で、ユーモア作品、というほどの意味だそうだ。小説に限らず音楽なども含まれる概念だとのこと。チェーホフ・ユもレスカ、とは、だから、チェーホフによるユーモア短編小説集、って感じの意味である。

話が見えなかったり、話がもたついたり、欠点を挙げればきりがない。そもそもこういう短編ってジャンルをどうも生み出した大元の人物のようで、手探りなのは仕方ない。パイオニアなんで。でも、1本、この『新ユモレスカ2』の中に、俺、大好きな短編が見つかった。5番目に収録されている「初舞台」という短編が、それである。いやー、本当に感激した。ネタバレしそうなんで、念のため一行改行しますね。

 

で、「初舞台」だが。弁護士として初めて法廷の舞台で働いた若い男性が、ほろ苦いスタートに悔し涙するのを先輩たちが最後は暖かく包むというストーリー。ああ、なんて、陳腐な俺の紹介文!マジ、泣くから。何かにチャレンジした経験のある人なら誰しも涙するよ、これ。女もかもしれないが、若い男の初心者の、心理の動き方、行動パターンが余すところなく、また無駄も一切なく、丹念に描写される。砂糖のクダリとか、小さなエピソードの一つ一つが、本当に的確に、100%あり得ることだと深く納得がいく。先輩法律家の慰め方も良い。人参色のズボンなど、またしても涙を誘う。こうして、各専門分野において、専門家が育っていくんだなあと、俺ら読者は泣きながら感じ入るのだ。

 

短編個別の感想から離れて、また一般論に戻るんで、一応もう一回改行した。で、上に触れた「初舞台」のような短編の傑作は、チェーホフの、様々な文学的実験のたくさん打った弾の一つがたまたま俺の心に命中したんだろうな。これだから、やはり何事もパイオニアに当たることは止められないなあと、思い直したわ。実は1本前のブログにて、『新ユモレスカ1』の感想文を書いたんだけど、その中で、もうチェーホフは文学的には終わってるとか書いちゃったんだけど、「初舞台」を読めて、また心が変わった。チェーホフは、「初舞台」を、誰のマネもせずに書き上げたんだろうと思うと、その説得力たるや半端なものではない。実際、丹念に読み返しても、横から見ても裏から見ても、堂々たる傑作だ。

さらにもうちょい話を深めるため、モーパッサンと比較してみようかな。モーパッサンもだいたい同時期に活動した短編作家のパイオニア。が、モーパッサンには「初舞台」みたいな話は書けなかっただろうな。モーパッサンは腐っても貴族で、そのために、生活苦の実体験からくる地に足の付いた安定感が感じられない。もっとも、従軍経験はその欠点を補ってあまりあるのでモーパッサンもやはり偉大だとは思うけどね。その点、チェーホフは16歳で家が破産、など、辛苦を味わってきているからだろう、職業、仕事というものに対する真摯な取り扱いはピカイチだ。

モーパッサンの方も、この場を借りて持ち上げとこうかな。逆にモーパッサンには書けてチェーホフには書けない傑作もある。新潮文庫の『モーパッサン短編集II』中の「勲章」と、チェーホフの『新ユモレスカ1』収録の「獅子と太陽」は、どちらも同じような、勲章をやたら欲しがる人、というテーマの短編だが、そういう人の堕落を描く時のモーパッサンの気迫たるやこの世のものではない。なんでそんなにすげえんだ?と、なんというかこう、芸術のための芸術っていうかさ、そんなこんなで、モーパッサンの「勲章」は、読んで後味の悪ーい、どよーん、ってなっちゃう、それはそれで傑作なのだ。こういうのは、チェーホフには書けない。

さて、チェーホフに、ユモレスカシリーズに話を戻す。そうだな、新潮文庫版I、II、中公文庫版1、2と通しで読んでみて、確かに傑作はあるけど、初期の雑文が多すぎて、ちょっと学術的すぎるかなとは思ったわ。1886年、1887年発表作だけを集中的に網羅的にまとめてくれれば、現代の読者はもっとスムーズにお気に入りの短編にアクセスしやすくなるんじゃないかと思った。が、読んでしまえば、やはりその1880年とか1882年とかの作品も通しで読むことで、チェーホフの文学修行の道のりをちょっとでも知ることができて、勉強にはなる。