説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

ジョギングして頭をスッキリさせて、引越し準備を進めてます

引っ越し準備で忙しくしています。
 
階下の保育園の拡充工事に伴う立ち退きで、引っ越しをしてます。同時並行で受験していた社会人入試の結果が合格であれば大学近くに引っ越すはずでしたが、落ちたために近場に引っ越しです。敗残兵のように、落ち込む自分を叱咤激励しながら作業を進めています。
 
これを機に、色んなものを断舎離しようとしてます。普段、全くと言っていいほど部屋の片付けみたいなことをしてこなかった人間なので、本棚をさらって昔の資料や本などを見返すと、いろんな再発見があり、心がジャブジャブ洗われていく気がします。
 
収納家具、布団、枕など、気に入らなかったモノたちも、この引っ越しを機に、古いのを捨てて新しく買い換えようかなと思ってます。
 
引っ越し作業が進まなくて、思い切って午後の早くに久々にジョギングにでかけたのが、ナイス判断でした。やっぱし俺は、汗をかくと、その後、頭が冴えます。明日以降も、毎日のペースでどこかでジョギングをはさみたいな。20代の頃は毎日走ってました。また毎日ペースで走ったら、ガツーンと痩せるんじゃないかな。
 
今までとは違う読書パターンで新しく読書をしたいとも考えてて、図書館で三島由紀夫の『豊饒の海』を借りたりもしてます。で、今、気晴らしに来た夜のドトールで、冒頭部だけ読みました。いや、面白そうなんですが、引っ越しをしてる最中で、腰が落ち着いてない中、こんな重厚そうな物語を読みこなせるかな…と、近日中にさらに読み進められるかどうかは不透明です。
 
なんにせよ、諸々断舎離してミニマルな新生活をスタートして、自分をバージョンアップさせていきたい。まずは手始めに、次にブログを書く時には毎日ペースでジョギングが出来てたら、いいなあ。

社会人入試、不合格!

いやあ、落ちた、落ちた〜!
 
社会人入試の結果が判明しました。結果、不合格。
 
仕事を辞めてまでの大チャレンジだったんですけどね。やっちまいました。うーむ。
 
残念ですが、仕方ない。合否を判定するのは俺ではなく向こうの先生方なので。
 
面接の手応えとか、悪くなかったんですけどね。
 
まあ、あそこまでやって、それで不合格だったら、もう仕方ないね。あきらめもつきます。この社会人受験のカリキュラムに沿って、かなり生物学を勉強しましたんで、それで良しとしましょう。ああ、勉強になった、勉強になった。
 
ちょっとまだ、この不合格という結果を受け止めきるのにもうちょい時間をかけたいところです。すなわち、今頭に浮かんでる今後の方針とか色んな思いとかは、まだ流動的で、今後どんどん変化していく可能性が高い。
 
が、とりあえず、思うのは、まあそうですね、ダメ元で、今回とは別の一番志望の大学の、一般受験にチャレンジしたいっす。今年度。で、当然落ちるでしょう。そしたら、そこらへんのタイミングで、受験勉強と両立するようなちょうどいい仕事を見つけ、働きながらの受験勉強生活を構築。で、一般受験や、いい感じの社会人入試があったらそれも検討し、チャレンジしていく。でも、もう一般受験一本に絞ったほうがいいと思うんだよね。
 
そんな感じのことを、考えてます。
 
不合格というのは逆境ですが、意外とチャンスもすぐそばまで来てる。そんな気がします。不合格という結果を前にして、本気で反省し、新しい自分へと脱皮していく、そういうビッグチャンスではないでしょうか。

『物理基礎』の力学の章を読み終わりました

昔、大学中退したまんまになってた40過ぎのおっさんです。これじゃイカンと、仕事を辞めて社会人入試を受験しました。その合否の結果が、あと数日で判明します。ちなみに分野は生物学っす。
 
ずっと苦手で、中退に至った直接的な原因ともなった物理を、このフワッとした時期にやり直そうと、高校の検定教科書を本棚から引っ張り出してきて、問題を解きながら読み進めてます。
 
で、今、『物理基礎』の力学の章を、読了しました。
 
今の今までは、『物理基礎』の力学が終わったら、『物理』の力学を次にやって、それ終わったら受験参考書の力学分野の箇所をやろう、と思ってたのですが、発想が「いかにして受験で合格するか」に粘着しすぎてたことに、はたと気づきました。
 
大目的は、合格することそのものにあるのではなく、分子生物学を研究するにあたって、本物の物理学の素養を身につけることです。
 
そうであるなら、焦って受験参考書に飛びつくのではなく、普通に、『物理基礎』の順序どおりに、次の熱力学の章に進み、そのまま全部を読み切るべきなのではないか。で、それが終わったら、『物理』をやればいい。『物理』を読み切ったら、必要に応じて、受験参考書の良書を活用して、さらに物理への理解度を高めていく作業を続行。そして、十分力がついたと思ったら、大学生向けのテキスト、特にファインマン物理学に取り組む。または、取り組むためには何が自分には不足しているかを把握して、それを身につけるべく勉強をすすめるべきです。
 
社会人入試の結果が不合格だった場合で、物理が受験科目に含まれる大学に新たにチャレンジする場合は、物理の本物の理解に加えて受験テクニックの習得も必要でしょう。が、そうであっても、あくまでメインは「物理学を本当に理解し身につける」ことです。なら、『物理基礎』をまず通読して、物理学の全貌をざっと眺め渡すことは有効なルートだと思います。
 
自分の心は正直に反応するので、本当に納得してなければ『物理基礎』通読は不可能でしょう。とりあえず、着手してみます。

天文対話を読んだことで、高校物理の学習がスムーズに

ガリレオの『天文対話』を読んだことで、高校レベルからの物理の学習が今んとこスムーズに行ってて、いい感じです。
 
俺、生物学志望の大学中退者で、このままじゃイカンと仕事を辞め、この前社会人入試を受けてその結果待ちなんです。
 
受かるにしろ、落ちるにしろ、好きな分子生物学を今後極めていこうと思ったら、物理もきちんと勉強しとかないといけない。で、この合格発表直前のフワッとした時期、『天文対話』を読んだんですね。昨日読み終わりました。
 
で、高校の物理の検定教科書を数年前にぐるっと見たのを、また最初っからやり直す作業に、昨日の午後から取り組んでいるのですが。
 
天文対話を読んで、物理という学問分野への取り組み方、心構えみたいなものが、心のなかにすっくと立ち上がってるような気がします。っと、大げさかな。でもでも、本当に。
 
天文対話を読む前の俺というのは、物理という分野に対してどこまでもお客さんで、最低限の努力で理解し身につけたいというそれだけのヤツだったと思います。で、そこから、物理現象というものに対して、「簡単であってほしい」という期待が生まれ、で、その思いが心のなかで悪い意味で発酵しちゃって、「自然現象とは単純であるべきだ」という強い思い込みを持つようになっていた。
 
でも、自然現象とは人間の思い込みで左右されるものではないんです。虚心坦懐に、まず自然現象を観察し、実験し、そこに法則を見出していくという姿勢こそが必要なのです。自然現象は単純であらねばならないという自分の期待を満足させようという姿勢は、それこそガリレオを苦しめたスコラ哲学者と全く同じだったんです。
 
大学数学がわからなかった理由も、根っこは一緒な気がします。微分積分から始まる大学数学は、微分積分というのがニュートンが力学を研究するために自作した数学ツールだったこともあり、ギリシャ哲学的な、いわゆるフィロソフィーといいますか、純粋な探究心だけではついていけないんですよ。その概念は、数学的に美しいか?ということだけではなく、その概念は、「役に立つか?」という、ギリシャ哲学とは相容れない要素が、微分積分を学ぶ際には必要になってくる。「物理学への応用」ということと二人三脚で、大学数学というのは学習を進めていく必要があるんだと思う。
 
例えばこの世界の空間が三次元であることなど、本当に偶然そうなだけだと思うんだよね。四次元でも二次元でもありえたでしょ。でも、観察や実験で確かめる限り、三次元だよね。だから、現象が先にあって、それを学んでいくという、それが物理。今、力学やってるけど、運動の三法則とか、今までは覚えるのがめんどくさいなあとか思ってたけど、自然現象を観測したらそのような法則にまとめられるよ、というのは本当にすごいことだと今は思う。天文対話に書かれていたスコラ哲学者の考え方、ホントにひどかったから。アリストテレスを盲信して、めちゃくちゃに考えを進めてこんがらがってた。そこを突破したガリレオは本当に素晴らしいし、その苦労の一端を彼の著書で知ることができたのは俺にとって非常に意義深いことでした。特に、スコラ哲学者のそれまでの考え方の記述が、反面教師として参考になってます。
 
合格発表まであと少し。プレッシャーがすごくって、マジで今の俺はまさにまな板の上の鯉というヤツです。そんな中、また一つ、いい勉強ができてて、感謝、感謝です。さあ、明日も頑張ろう。

『天文対話』読み終わりました。

『天文対話』を、今、読み終わりました。
 
数学的な細かい説明の箇所が、追っていくことができなかったため、ほぼななめ読みでしたが。
 
この本は、サルヴィアチ、サグレド、シムプリチオの三人の議論の議事録という形式で書かれてて、その議論は四日間続きます。で、俺的には、三日目のサグレドが一番ヤバかったです。スコラ哲学者の立場を代表するシムプリチオに対してのその矛盾の指摘は、苛烈を極めました。
 
あと、これも三日目ですが、季節というものが生じるメカニズムをサルヴィアチが説明してくれたのですが、これは俺でもついていけたと思います。地軸が傾いてて、そのせいで、地軸が前のめりになってるときは夏、退いてるときは冬、ということですね。こういうの、たいてい小学校の理科の時間とかで習うと思うんだけど、いやーほんと、ありがたい話であり、ありがたすぎて逆に毒になってるかも。だって、地動説から四季の変化を説明するってのは、この天文対話を含め、多くの偉い学者が血みどろの戦いの末に築き上げてきたものでしょ。そういう苦労を完全スルーして結果だけを説明するという教育は、もうちょっとこう、どうにかならないもんかね。
 
さて。読んでる最中から、何本か感想文ブログを書いちゃったので、ここではあんまりさらに付け加えて言いたいことが思い浮かばない。じゃ、読み終わった今、次に何をするかを考えます。
 
ニュートンの『プリンキピア』を読み始めるのも良いんだけど、バランス的に、古典ばっかりかじるんじゃなく、今度は最新の参考書で実際使える学力を身につける活動にシフトしたいな、などとも思う。代ゼミの漆原先生の参考書の復習から開始して、物理学習得の旅に踏み出すのはどうだろう。
 
うむ、今、図書館で、プリンキピアを実際パラパラめくりながら考えてるんだけど、なんか、ギリシャ時代の幾何学の証明みたいな体裁で、ちょっとこれ、科学史の研究とかに特別興味があるとかじゃないと、ちょっと手が出んな。んじゃ、決定。漆原先生の参考書をやろう。
 
社会人入試の合格発表まで、今日を含めなくてもあと丸三日残ってます。悔いなく過ごしたい。

天文対話を読んで、セントラルドグマについて考えました

ガリレオの天文対話、岩波文庫で上巻は読み終わりました。今、下巻を読み進めてる最中です。読みながら考えたことを、このブログ記事にしたためておきたく、今、Macを立ち上げたところです。
 
先に下巻末尾の訳者解説を読んじゃって、その意見を踏まえながら本文を読み進めてます。ので、ちょっと訳者の考えに染まりすぎちゃってるかもですが…。いや、「科学はイデオロギーと無縁ではいられない」と、訳者の青木靖三先生は解説で書いていて、それに俺も賛同、してます。
 
ガリレオの言ってること、やってることは、科学を突き詰めて考え、正常に健康に、他の人たちとお互い高め合いながら、科学を発展させていきたいという、それだけです。しかし、なんともはや、邪魔が入るんですよね。でも、邪魔する人たちも必死で。宗教的な聖域を守るという行為を、現代の高みから一笑に付すのは、俺はしたくない。現代でも、それこそ俺自身も、場合によっては同じような行動に出てしまう可能性は十分あると思う。つまりは、自分のほうが間違ってるとわかりつつ、ある意見を批判して潰していくという行為ですね。
 
俺が好きな生物学にからめてさらに話を展開していきますね。皆さんは、「セントラルドグマ」っていう言葉を、ご存知でしょうか。遺伝情報は、DNAからRNAへ、そしてRNAからタンパク質へと流れ、その逆はない、という考え方です。DNAにすべての遺伝情報が書き込まれていて、それが回り回ってタンパク質の構造を決定し、タンパク質が色々振る舞うことで生命現象が営まれていく、ということです。これは、DNAの構造が二重らせんの形をしていることを発見したクリックという人が唱えたんです。ところが…。後になって、RNAの遺伝情報がDNAに「逆転写」される、という現象が発見されちゃって。セントラルドグマに反してる!と、大騒ぎになりました。
 
でも、本当は、大騒ぎするほうがおかしかったんだよ。クリック自身が、既にみんなに警告してたんだ。これは「ドグマ」だよ!ドグマ、つまり「俺の思い込み」が多分に入っちゃってるんだよ!って、わかってほしくて、わざわざ用語に「ドグマ」っていう言葉を選んで使ったんだと思う。クリックはもともと物理学者で、生物学畑に転向してきた人物だったから、そうだよ、多分ガリレオの食らった異端審問の経緯とかも、踏まえてたんじゃないかな。だから、一見説得力のある強力な理論を世に送り出すに際して、どうか皆さん常に批判的に検討して下さい、という思いを込めて、セントラル「ドグマ」って言ったんだよ、多分。
 
さらにうがった見方をするなら、セントラルドグマは、第二次大戦後に始まった冷戦下で、英米側の考え方、個人の自由とか、そこらへんのコンセプトを色濃く反映してたんじゃないか。遺伝情報は、一人一人個人に、または一つ一つの細胞にもっぱら属するものであって、っていう。だから、だからトランスポゾンっていう現象が、発見されたときから何十年も学会から無視され続けるなどということが起こったんじゃないか。個人主義に反する、つまり、生物学も科学の一部、学問の一部、だから個人の自由権を保障する人間社会を一緒に作っていくという活動に全ては収斂していく「べき」でしょ?それに対して、トランスポゾン、すなわち遺伝子が染色体上を勝手に移動するなんてのは、英米側の我々の考え方に反するから認められない…と、そういうことだったんじゃないかな。
 
セントラルドグマは重要な概念です。どう重要かと言うと、例えばmRNAワクチンの安全性の説明をするのに土台となる理論だったりするんじゃないかな。mRNAワクチンは、中身はRNAです。RNAを体内に注射。すると、体内で、そのRNAからコロナウィルスの体の一部とおんなじタンパク質がちょびっとできる。で、そのタンパク質を体の免疫機能が認識して、こういう異物が体内に入ってきた、だから、次に同じやつが入ってきたら速攻で排除できるように、抗体を作っとこう…と、そういうシステムでmRNAワクチンはコロナウィルスに対する抗体を体内に準備する、と、これが俺が理解してる範囲でのmRNAワクチンの働く仕組みです。
 
ところが、この、RNAを体内に注入するというのが、みんなが怖がってるとこの一つだったりしますよね。RNAを打つと、それが回り回ってDNAになり、自分のDNA情報に影響が及ぶ、書き換えられるんじゃないか、っていう。で、それを完全否定することもできないと思うんです。実際、RNAからDNAへの逆転写という現象は確認されているから。
 
でも、多分、多分大丈夫だろうと思って、俺自身は、早々、コロナワクチン2回受けました。
 
もっと逆転写という現象について知らないと、さらに突っ込んだ話はできないけど。逆転写っていうのは、もっと、ウィルスとかそういう、マジで狡猾にコンピュータウィルスみたいに生物の細胞を乗っ取るやつらがやることであって、今回のコロナワクチンみたいに、コロナウィルスの体の一部の遺伝情報の乗っかったRNAだけを取り出して身体に打つのであれば、細胞の乗っ取りみたいなことは起こらないんじゃないか…と、いやいや!もっと調べないと確実なことは言えない。
 
天文対話の話にも戻しつつ、まとめると、セントラルドグマとか天動説とか、それまで主流とされてきた考え方や、その考え方に乗っかって動いちゃってる実社会の事情とかに、科学者は常に立ち向かっていかなきゃならない。でも、どんなに真剣に頑張っても、時代のイデオロギーと完全に無縁ではいられないのも運命だ。だから、歴史に学んで、天文対話をよく読んで、ガリレオの辛苦を追体験し、これは昔の話じゃなく、ずっと変わらない人間社会の本質なんだよ、だから、最先端の新しいことをやろうと思ったら、誰しもが通る道なんだとよくよく納得しておく必要があると思います。

ガリレオの『天文対話』、読んでます。余裕ぶっこきすぎかな?

昔、大学中退した40過ぎです。先日、社会人入試を受けました。分野は生物学です。合格発表までの過ごし方を模索してて、最近のブログ記事はその模索の道々での振り返りと今後の見通しなどについてのものです。今回の記事もその流れの一環で書き進めていきます。
 
俺は分子生物学をやりたいんです。社会人入試では生物学をメインで勉強する必要があったんで、色々がんばり、当然生物学は好きなのでたっぷり楽しみました。が、若かった頃から食わず嫌いだった物理への不安は拭うことが出来ていません。で、まとまった時間が出来た今こそ、物理をやるべきだと思うんですね。分子生物学をやるには、物理がわかってないと話にならないんで。
 
英語も、今後研究生活をしていく上では必須なので、10月10日の英検に向けてラストスパートを、と考えていたのですが、諸々の事情で、どうしても10月10日に引っ越しをしなければならなくなりまして。英検受験に行けなくなってしまいました。
 
で、英語学習の緊急性がガーンと低下した今、んじゃ物理を基礎からやり直そうよということになりました。で、やり直すと言っても全くゼロからではなく、高校検定教科書とか受験参考書とかをかじったりもしてきたので、こなすべき教材に関してイメージは大体できていました。検定教科書→代ゼミの漆原先生の参考書(面白いほど→明快解法講座→最強の99題)。もう本棚に並んでます。よし、これを!と、本をひと通りかついで図書館に乗り込み、昨日、勉強を開始しました。
 
が…。落ち着いて考えを進めた結果、それまで予想だにしていなかった方向へと進んでいます。教科書とかをやる前に、ガリレオとかニュートンとかの考えに直接触れるべきだろう、と、彼らの著作を読破する作業を始めてます。具体的には、ガリレオの『天文対話』を、図書館で借りて昨日から読み始めてて、さっき、切りのいいとこまで読み終わって、頭を整理するためにブログを書きに来たという次第です。『天文対話』が終わったら、次はニュートンの『プリンキピア』を読もうと思ってます。『天文対話』は岩波文庫のを読んでます。『プリンキピア』は、『プリンシピア』っていう題で、講談社ブルーバックスから昔の翻訳がリバイバルで三分冊になって出てますね。これも図書館で発見したんで、図書館で借りて読みたい。
 
天文対話、面白いです。科学的な方法論が、どんな苦労の末に編み出されてきたかを知ることができます。本の題名からして、俺、別に天体とかにあんまし興味ないけどな…と、その点を心配してましたが、とんでもない。科学的な思考を自由に広げていくために、目を宇宙に向ける必要があったのです。そういう時代背景だったようです。また、まだ四分の一くらいしか読んでないけど、俺にとって非常に興味深いことに、生物学的考察みたいなセリフが随所に見られます。「生物学は複雑すぎて現時点ではあえてノータッチだけど、力学とか天体に関することは確実なことが言えるからどんどん言ってくよ」みたいなセリフが実際ある。時代が違えば、ガリレオは物理学ではなく生物学に向かった可能性、あると思いましたね。
 
受験にとらわれずに、のびのび勉強しようよ、と、自分を解放できてるのは良いことだと思います。良いのかな?
 
社会人入試の結果が不合格だったら、目を三角にして、どこか別に入れる大学に向け再び受験勉強開始です。だから、ちょっと心に余裕のある今、天文対話やプリンキピアを読むという選択は悪くないと思ってます。
 
語学も、全くやらなくなったわけではなく、実は朝と晩にきっちり勉強を継続してます。朝に英単語学習のノルマをこなし、夜には英語のニュースをわからないながらも一生懸命聴いてます。自国語だけでできることには限界があるという判断を実際の行動に反映させていくことは大事だと思う。
 
ここまで書いてきて、思うのは、不合格だった場合への備えが不足してますね…。落ちた場合に次はどの大学を狙うのか、俺はもう考え始めておくべきでしょう。いや、実は、考えてるんだけど、そこは、ちょっと難易度が高すぎて、今年度の一般受験ではほぼ確実に受かることは出来ないでしょう。でも、狙い続ける価値のあるところではあるから、バイトを続けながら受験勉強を年単位で続けて、チャレンジし続ける…。で、その大学の試験科目には物理が含まれてるんだった、だから、受験物理で点数に直結するような勉強をと考えて、漆原先生の参考書とかをガリ勉しようとしてたんだった。天文対話の読書なんて、余裕ぶっこきすぎじゃねえの?
 
でも、読んでみて、今の自分がやってることは間違ってない…と思う。
 
迷いは迷いとしてそこから目を背けず、迷いながらもその中でのベターな次の一手を常に比較しながら選び取っていきたい。
 
天文対話は面白いです。ガリレオは俺より遥かに迷い苦しんでいました。ガリレオの生き様には励まされます。