説明責任の行き届いた社会を目指して

大昔、生物学者になりたかった40過ぎが、今また再チャレンジ

物理の勉強の前に、『豊饒の海』を読もうとしてます

引越し準備作業も見通しがついてきたんで、ある程度まとまった時間を自由に使えそうだぞとなりました。
 
とりあえずひと汗かいてまたリフレッシュ、と、走り出しましたが、足が痛くって、すぐ引き返しちゃった。最近になって急に毎日走り始めたから、ここらで休息も必要なようです。
 
軽くシャワー浴びて、街に出て、さて何をしようか、と、メモ帳に向かい、あ、また何度目かの人生の曲がり角に差し掛かってるなと直感しました。
 
人生、時間は有限です。だから、「先に何をやるか」は、常に重要な問題です。
 
英語は毎日やるとして(と言いつつ今ちょっとサボっちゃってますが)、メインで進めていく対象を、物理学の学習にするか、物理の勉強を一時停止して三島由紀夫の『豊饒の海』を読むのを先にするか。物理か、豊饒の海かです。
 
で、豊饒の海を読むのを先にするという方向で、動き始めました。
 
ちょっと読み進めて、天皇制との関わりの深いストーリーに刺激され、ちょっとプチ旅をしたかったこともあり、電車に乗りました。飯田橋へ。で、靖国神社に参拝してきました。その後、歩いて、千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ。残念ながらちょうど閉館の時間で、中にはいることは出来ませんでした。お堀を見ながら、持ってきていた弁当で早めの夕食。また歩いて、市ヶ谷へ抜け、いい感じのカフェ・ド・クリエを発見したので、今、ここでこの文章を書いてます。
 
10月の早い夕暮れに、市ヶ谷の街が暮れなずんでいきます。
 
豊饒の海を読んで、日本という国の成り立ちや今までの歴史的経緯などを学び、また三島文学で日本語運用技術や文章のテーマの選び方、生き方などもこれから学んでいきたいです。
 
本といえば、今までは井上ひさし一本やりで、そのように生きてきた自分自身に不満もありません。ですがここで、他の要素も取り入れていくことも、悪くないと思ってます。
 
次回のブログを書くときには、豊饒の海の読書が順調に進んでるといいなあ。読んだところまでの感想とか、書きたい。
 
引っ越しも近い。色々、変化のときです。