説明責任社会を目指して

大昔、生物学者になりたかったアラフォーが、今また再チャレンジ

『豊饒の海』を読みつつ、無職プーはさまよってます

三島由紀夫の『豊饒の海』を面白く読んでいるのは、三島が45歳で自決したことから、この最後の書が世の中に向けて書かれた遺書のようなものだと思うからです。
 
昔から、死を意識すると感情的に不安定になる傾向がありました。で、社会人受験に失敗し完全にプー太郎になった激ヤバな今、豊饒の海なんかに傾倒し、そのヤバさに対してさらに火に油です。
 
昨晩、寝ようと思ったけど、どうしても寢らんなくて、スマホYouTubeとか見てたら、完全徹夜してしまいました。午前中には特に用事もなかったことから、朝方から昼にかけてやっと少し寝ました。
 
午後には用事があったので、早めに用事の場所に向かい、そばの図書館で豊饒の海の続きを読み進め、時間になったので用事に行きました。
 
で、終わって、また地元に帰って、カフェで豊饒の海の続きを読み進めてるところです。
 
まだ第一巻の150ページ目くらいですが、メチャ面白いので、このまま突き進んでいけそうです。
 
今回この記事を書いてる現在も、もう充分社会的にはヤバいですが、前回の市ヶ谷のカフェ・ド・クリエでブログを上げてた時ほどにはヤバくないと思います。内容的には別段何を書いたわけでもないけど、状況が状況なんでね。平日午後に42の無職プーが靖国神社を一人で参拝した後、住宅街をほっつき歩いてたのでして。というわけで前回のブログはなかなかの衝撃作だと思うので、今後ももうしばらくこんな感じのブログの書き方を継続しようと思ってます。
 
エバーノートで自分が読み返すだけのための日記のなぐり書きみたいなことも、もう卒業しようかな。いや、なぐり書きではなく、正直かなりシステマティックに緻密に振り返ってるんです、実は。一週間、一ヶ月、四半期(3ヶ月)、一年、5年、一生のそれぞれに向けて、実現したい課題を明記して、その期間が終わる毎に、書き溜めた記録をまとめ直して、課題達成率を数字化して、次の期間の新たな課題を立てる、っていうのを継続してもうかれこれ6年以上になります。でもさ、死んじゃったら何も残らないわけだし、そんなことやってても。それより、読者を意識してリアルタイムで社会にメッセージを発信していくほうが、まだ意義がある。人生の目標も、出来事の記録も、課題達成率と反省も、ブログ上で書き進めていく方がいい。そう思ってます。これが実現するなら、このブログもかなり様変わりするだろうし、俺の人生自体もかなり変わっていく予感がします。
 
豊饒の海の読書に戻ります。豊饒の海自体の詳細な感想は、次回以降のブログで書いてみたい。とりあえず、今んとこ、既に大満足。筆致がすごい。特に好きなのは章の終わり方。章と章のつなぎ目、場面転換のタイミングで読者をグウと唸らせる日本語のきらめきに圧倒されてます。